公園の怪談
Added 2025-02-08 10:58:22 +0000 UTC「ねえ知ってる? タコ公園の鏡」 「知ってるー。夜の十二時十二分でしょ?」 「今度さ……見に行ってみない?」 夏休み直前のある日。友達みんなでちょっとした肝試しの計画が立てられた。最近動画サイトでオカルト系の配信者がブームで、私のクラスでも結構な女子が感化されていた。タコ公園は隣の市にある小さな公園で、タコを模した滑り台があることからそう呼ばれている。そこのトイレの鏡は夜中に見てはいけないという噂が昔から子供の間に流れていた。夜の十二時十二分に女子トイレの二つ目の鏡を覗くとこの世から連れ去られてしまう……という怪談である。実際に覗いた子が何人も行方不明になっているという内容も伝わっているが、本当かどうかは知らない。まあ学校の七不思議と信憑性は変わるまい。 「そんな時間に家出れるかなー」 「こっそり抜ければ大丈夫だって」 「みんなで行くんだからさへーきへーき」 私たちは中学生。深夜に家を出るのは難しい子もいるということで、名目上は一番近い石田さんの家でお泊り会ということになった。私は怪談にあんまり興味なかったんだけどみんな行く気だったので私も行くことにした。 「ホントに消されたらどうする~?」 「やば~」 怖がる素振りは見せるものの、誰一人心から信じちゃいないは明らかだった。どっちかというと生きた変質者の方に気をつけるべきかも。そんなこんなで、夏休み始まってすぐ、私たちは深夜にちょっとした冒険に繰り出すことになったのだった。 当日の深夜。私たち六人はコンビニに行くと言って首尾よく石田さん家を抜け出し、タコ公園に集った。隣の市だからそれほど来た覚えないけど、タコの滑り台は子供心に刺さるので幼いころは何度か遊びに来たことがある。懐かしいなあ。 流石に深夜零時前ということで人はいない。街灯が空しい光を寂しく発するだけで、あたりも暗い。トイレも真っ暗だ。 「十二分だっけ?」 「そうそう」 一人が動画の撮影を始め、私たちはそれに映って遊んだ。スマホの時計が十二時十分を刻んだ時、私たちは色めきだってトイレに突入した。まるで自分たちが配信者であるかのような口調でスマホに向かって説明を述べながら。 女子トイレの明かりを点け、私たちは鏡の前にゾロゾロ並んだ。二つある鏡はどちらも薄汚いけど何の変哲もなく、静かに蛇口の上で私たち六人を映し出していた。みんな鏡よりスマホの時刻に集中した。十二分。……特に何も起こらない。 緊張が解けて皆が笑い出した瞬間だった。鏡の片方が突如紫色の光を放ち始めたのだ。みんなが一斉に鏡を見た。照明とかじゃない。鏡自体が不気味に唸り、その全面が紫色の光源となり、もはや誰の姿も映し出してはいなかった。 「えっ!? ――なに……」 一人が声を出したその時、鏡から眩い閃光が放たれ、私たち全員顔を覆ってしまった。だからその瞬間に何が起こったのかを目で捉えることができた子は、誰もいなかった。 「ん……?」 瞼越しにも視界を白く染める閃光が消え、恐る恐る目を開ける。六人みんながこわごわ動き出す。様子がおかしい。確かに私たちは薄汚い公園のトイレにいたけど……汚すぎる。全てが様変わりしていた。真っ黒な何かで床や壁のほとんどが覆われていて、鏡は二つとも割れている。洗面台はほんのり赤い液体の跡があり、えも言われぬ圧迫感が空間を蠢いている。 「な……な……なに? ここ……トイレ……」 建物の形や器具の配置は公園のトイレと全く同じだけど、明らかにさっきまでいたはずのタコ公園のトイレじゃない。みんな静かに顔を見合わせた。恐怖が顔に張り付いている。みんな思っていることは同じだった。あの怪談は本当だったんじゃないか、だとしたら私たちは……。 「いや別に……ドッキリか何かっしょ……」 一人がそう言って抜き足差し足でトイレから出ていった。それから悲鳴を上げて赤黒い床の上に尻餅をついた。 「どうし……ひぇっ」 そこにあるはずの公園は、どうみてもまともじゃなかった。空は赤く染まり、周囲は高い壁に囲まれている。三方にドアがあり、どれもが異なる色の妖しい光を放っていた。異界――としか表現できない、不気味な恐ろしい光景が広がっていた。とてもじゃないが、私たちの話を聞いていたクラスの男子とかが用意できるドッキリではない。本能がこの光景は本物だと感じ取り、しきりに警告を訴えていた。ここは危険、ヤバいと……。 私たちはパニックに陥り、みんなが割れた鏡のもとに殺到した。しかし鏡は光を放つことはなく、私たちを元の世界に帰してくれそうになかった。スマホの電波も届かず、どことも繋がらない。 十分ほどしてこれが夢でもドッキリでもないと理解せざるを得なくなった後、私たちはゆっくりとトイレを出て公園に降り立った。タコの滑り台がトイレと同じように赤黒い何かで少し汚れている。公園は公園だけど……一体何がどうなってるんだろう。周りが壁で囲まれてるし。 「い……行くしかなくない?」 一人がそう言いだすと、緊張が走った。トイレから出たくない。でもここにいてもどうしようもなさそうだ。ドアの向こうを確認するしかない。それはわかる。でも出たくない。怖い。 「あっちのドア、鏡と同じ光じゃない?」 もう一人が右側の壁を指さした。確かに、紫色に光っている気がする。でも……鏡のとは違うような。 「や、止めた方がいいよ絶対ヤバいって」 「でも、じゃあ一生ここにいるの?」 口論になりかけた時、耳をつんざくような笑い声とも悲鳴ともつかない唸り声が轟き、地面が振動した。後ろの方……トイレの奥からだった。 「口」があった。巨大な口がいつの間にかトイレの奥を占領し、私たちに近づいていた。ヌメヌメした大きな赤い唇がゆっくりと開く。トイレの床から天井まであるような巨大な口。そこに歯はなく、赤黒い大きな舌が中で蠢いているのが嫌でもよく見えた。 ほんの一秒が永遠にも感じられた。みんなが一斉に悲鳴を上げてトイレから飛び出した。走った。私はまっすぐ前方に走りタコの滑り台の陰に隠れた。トイレの方を見ると、トイレから巨大な口の化け物が姿を現すところを見てしまった。肌色の球体。生きた皮膚で覆われた大きな肉塊。巨大な口だけが球体のほとんどを占め、目も鼻も耳もなかった。よくみると球体の下に短い足が七本ほど生えている。化け物だった。 そして運の悪いことに逃げ遅れた土田さんがその化け物に――食われていた。助けて助けてやめて食べないでと悲痛な叫びを発しながら、大きな舌にからめとられて肉塊の口の中に消えていく。心臓が高鳴った。彼女は哀れにも口の中に消えて、声が聞こえなくなった。直後、化け物と目が合った。目がないのにそう感じた。化け物は私の方に顔を……口を向け、こっちへ向かって歩き出した。 「ああああああー!」 私は叫んだ。走り出し、一番近くにあったドアに向かった。妖しい青い光を放つドアの取っ手を掴む。かなり固かったが強引に回してドアを開けた。自分にこんな力があったのかと思うような馬鹿力だった。 ドアを通った後すぐにドアを閉めた。ドアのサイズは普通……あの化け物は通れないはず。でもトイレから出てきた……意外と柔らかいのかもしれない。 「土田さん……」 心臓がかつてない唸りを上げてバクバク言っている。食われた。食べられちゃった。あの化け物に……。死んだ? うそ。そんな……。ていうかあの化け物は何なの? この公園はどうなってるの? 私たち……皆は? このドアを通ったのは私だけらしい。一人になってしまった。でもドアを開けて戻る勇気はない。壁を一枚隔てているだけなのに、不思議と静かだった。公園の様子はうかがい知れない。化け物が来るかもしれない。できるだけ離れた方がいい……。ゆっくり振り返ると、私は叫んでしまった。薄暗い中に大勢の人が立ちならんでいたのだ。 「はぁ……はぁ」 しかし、様子が変だった。全員裸で、一言も発さず、ピクリともしない。しばらくして、ここは倉庫だとわかった。公園は空が見えたのに、この部屋は天井がある。動かない人たちは一体なんなのだろう。マネキン……なのかな。触ってみると冷たく硬かった。しかし……皮膚と肉の感触がした。 全身の鳥肌が立ち、マネキン? から離れた。この倉庫はそこら中、リアルすぎるマネキンがいっぱいで、どんなホラー映画より不気味で恐ろしかった。死体にしては綺麗すぎるし匂いもしない。まるでみんな生きているかのようだ。時間を止められてしまったかのように見える。深呼吸して落ち着くよう自分に言い聞かせ、私は倉庫内の通路を歩き脱出先を探した。しかし、通ってきたドア以外に扉も窓も見当たらない。行き止まりだった。嫌な汗が流れ出す。まずい。ミスった。化け物が来たら――。 ドアを叩く音がした。外からだ。大きな質量が壁に何度もぶつかっている。友達の誰かじゃない。あの化け物に違いない。どどどどうしよう。死ぬ。殺されちゃう。食べられる……土田さんみたいに。逃げる先がない。終わった。ドアの選択を間違えたんだ……。 反射的に周りの人たち……マネキンに助けを求める顔を向けた。誰一人動かない。皆、全裸のまま指一本、眉一つ動かさず、私の行く末を他人事のように見守っているだけだった。その時、最後の賭けが頭に浮かんだ。木を隠すなら森の中……かもしれない。 私は服を脱いだ。下着もだ。身に着けていたもの全てをその場に脱ぎ捨て全裸になった。このマネキンたちは生きているかと見まがうほどリアルだ。だったら……この中に紛れたらワンチャンあるかもしれない。馬鹿馬鹿しいアイデアだけど、これ以外に生き延びられるかもしれない方法が思いつかなかった。 脱ぎ捨てた服のすぐ傍は不味い。私は化け物がまだ入ってきませんようにと祈りながら通路を駆け抜け、大胆にもドア付近のマネキンの中に加わった。表情を抑えられる気はしなかったから通路側に背を向けて立った。そして……他のマネキンたちと同じように両脚を少し広げて、両手を斜め下に伸ばしたポーズをとって、息をひそめた。 (お願い……気づかないで……) ドアが開いた。化け物はサイズ的に通れなさそうだったけど、無理やり体を押し込んで入ってきた。背を向けているから目では見えないけど、かつてなく耳や直感が働き、あいつの様子を伺うことができた。化け物はマネキン倉庫に無事侵入し、通路を歩みだした。やはり私を探しているんだろうか。それともただのお散歩……であってほしい。 高鳴る心臓に自分でドキドキしながら、私は必死にパントマイムを続けた。動いちゃダメ。絶対に。私の後ろを化け物が通る。緊張の臨界点だった。 (神様……っ) 祈りは天に通じ、化け物は立ち止まることもなく通路を歩み、私から離れていった。やった? 騙せた? 助かった……? いやまだだ。動いたらお終い……。あいつが出ていくまでは。いやでも、それは不味い。あいつがまた公園に戻ったら私は倉庫から出られなくなってしまう。本当に助かる方法は一つ。あいつが倉庫の奥に行ったタイミングで倉庫から出て、別のドアに逃げ込むことだ。 で、でも……できるだろうか、そんなこと……。あのドアの取っ手固いし。間に合わなかったら完っ全にお終いだ。他のドアがここより正解とも限らない。でも……一生この倉庫であの化け物とお付き合いよりは……。 化け物がだいぶ離れたようなので、こっそりゆっくり、静かに振り向いた。マネキンの山二つほど向こうに、肌色の影が見える。姿勢を下に向けている。何か食べてる……? あっ、私の脱ぎ捨てた服だ。 バレた。ここにいることが。逃げるしかない。やるしかない。足音を立てないよう慎重に私はマネキンの列から離れ、ドアに近づいた。化け物はまだ服を食べている。舌だけで床の布を口に運ぶのは中々面倒らしい。ドアの取っ手に手をかけて回そうとしたが、やはり固い。さっきの馬鹿力が中々出ず、焦った。 (回って。回って。お願いお願いお願い) 次第に焦りと緊張で呼吸が荒くなり、汗も出てくる。化け物が動き出すのが背後から何となく伝わってきた。まずい。 渾身の力を込めて、何とか取っ手が動いた。ドアが開き、私は飛び出した。閉めもせずに走り、右側の壁に向かって突撃した。淡い紫色の光を放つドア。鏡と似た色。正解かもしれないドアに。今度のドアは固くなかった。すぐに取っ手が回り、私は壁の向こうに行くことができた。すぐドアを閉めた瞬間、緊張の糸がほどけてその場に崩れ落ちた。た……助かった。いやまだ助かってはないけど。目の前の危機は脱した。 しかし服もスマホも失くしてしまったのは痛い。だいぶまずい。あまりにも心許なく、怖かった。自分を守るものが何もない窮地。そういえばみんなはどうしたんだろう。上手く逃げたならこの部屋にいるはず……。振り返ると、ここはデパートの中だった。薄暗いデパートの服売り場のような空間が広がっている。あ、やった、服あるじゃん。私は早く防御を固めたい一心で無警戒に立ち上がり小走りで走り出した。柱の影から人影が飛び出し、私の前に立ちふさがった。私は恐怖で凍り付いた。目の前に立つその男には顔がなかった。皮膚だけで覆われているその顔には口も目も耳もなく、髪も生えていない。のっぺらぼうは硬直した私を容易くとらえ、信じられないほど強い力で私を引きずりどこかへ連れて行こうとした。 「あ、ああ、あああ! やめて! 放して! 助けてえぇー!」 私はパニクりながら助けを求めたが助けは現れず、試着室の中に押し込まれ、のっぺらぼうも一緒に入ってきた。終わった……せっかくあの化け物から逃げられたのに。別の化け物もいたなんて……。もう抵抗する気力は残っていなかった。みんなはこいつにやられてしまったのだろうかと思いながら、私はのっぺらぼうに運命を委ねてしまった。 数分後、私は信じられない過程を経て試着室から出された。のっぺらぼうは私を殺さなかった。彼は私に服を着せた。ライムイエローのメイド服。意味わかんないけど、実際こうなっているのだから仕方ない。私の腕は肘まで覆う長い黄色の手袋で覆われ、両脚は純白のストッキングで白に塗りつぶされた。胴体はフリフリの淡い黄色のメイド服を着せられ、全裸とは別ベクトルで恥ずかしい格好にされてしまった。しかものっぺらぼうが私の髪を引っ張るとスルスル伸びて、アニメ見たいな大ボリュームに増毛された。彼はバルーンアートみたいに大きくパンパンに膨らんだ白いリボンで私の髪をツインテールに結わい、一振りで鮮やかな金髪に染めてしまった。こうして私はまっ黄色なメイドのコスプレイヤーに姿を変えられてしまったのだった。 (あの……え……え?) のっぺらぼうは静かにデパートの通路の巡回を始め、私から離れていった。私は何が何だかわからず困惑するばかり。とりあえず助かった……のかな? まあ何はともあれ殺されなくてよかった。 すると別の試着室から新たな人影が飛び出した。 「里奈! 大丈夫!?」 「あ……つぐみちゃん!?」 つぐみがつぐみだと、一瞬わからなかった。それもそのはず、彼女は私に負けず劣らず……いやもっとすごい格好をさせられていたからだ。水色の魔法少女のコスプレ。としか言いようがない格好。互いに見つめ合い、こんな状況なのに思わず吹き出してしまうほど。 「わ、笑わないでよ! あいつに着せられたんだから!」 「う、うん、わかってるけど」 中学生にもなってそんな格好……いやお互い様だけど……。つぐみも私同様髪を伸ばされ染められたのか、アニメみたいに鮮やかな水色の髪が腰まで広がっている。 「他の皆は?」 「わかんない……土田さんはあの……口の化け物に……」 少し沈黙が流れた。後の三人はどうなったのだろう……。反対側のドアの先に逃げたのだろうか。 つぐみによると、このデパート部屋の先にまたドアがあるのだという。先へ進むか、戻って三人を探すか選ばなければならない。それとも、二人でしばらく待つか……。しかし、不気味なのっぺらぼうが巡回している異界のデパートにいつまでもいたくはない。あいつが無害だと決まったわけじゃないのだ。 「ちょっと一旦、様子だけ見よう」 公園の様子を見て化け物がいなかったら向かいのドアに行ってみてもいいかもしれない。私たちは派手な格好のままドアに戻り、そっと開き公園の様子を覗いた。 いた。化け物ではない。人のシルエットが二つ、公園の中央に立っている。化け物の姿はない。私たちは駆け寄った。 「二人とも! だいじょう……」 二人の姿がよく見えなかったのは影になっていたからじゃなかった。近くによっても二人は灰色一色で、元の色は見えなかった。石像が二つ立ち並んでいたのだ。 「石田……さん?」 二つの石像は間違いなく友人二人だった。顔も服装も体型も、二人をそのまま石にしてしまったかのようにそのままだ。こんな精緻な石像、美術の教科書でも見たことがない。 「み……んな」 石像が声を出し、私たちは抱き合って叫んでしまった。思わず逃げ出そうとしてしまい、呼び止められた。 「待っ……て。たす……けて」 石像たちは重そうな口を懸命に動かしながら、必死に自分たちは石像じゃなくて本人だと主張した。向かいのドアの先には灰色の海が広がっていて、そこに落ちてこうなったのだという。 「うご……け……ない……の。もう……」 海から上がり公園に戻ったものの、次第に体が固まりだしてここで歩けなくなってしまったのだという。私たちは二人を運ぼうとしたが、とても重くて無理だった。 そうこうしているうちに公園のトイレから再び恐ろしい声が聞こえ、巨大な口を携えた肉塊が姿を現した。 「あ……」 「ひっ……」 私とつぐみは互いに顔を見合わせた。恐怖に引きつった顔を。そして石像になりかかっている二人を見て言った。 「……ごめん!」 デパートへ通じるドアへ向かって私とつぐみは駆けだした。二人の返事を聞かず、心の中で必死に謝り倒しながら、友達を見捨てて化け物から逃げる方を選んだ自分を仕方がない仕方がないと擁護しながら。 デパートに戻った私たちは試着室に隠れた。化け物が追ってくる気配はない。のっぺらぼうはもう私たちに興味がないのか、静かに巡回を続けている。つぐみも私も自己嫌悪と恐怖と後悔に押しつぶされ、泣きはらした。あの化け物は石像化しかけていても食うのだろうか……確かめる勇気はでなかった。公園を覗いて二人のシルエットがなかったら……喉元に吐き気を催し、必死に堪えた。どちらにせよ、私たち二人に等身大の石像二つを運ぶ力なんかない。生きていようが今は置いていくしかないのだ。自分にそう何度も言い聞かせ、落ち着きを取り戻そうとした。 あと一人……春香はどうしたのだろう。倉庫にも海にもいかなかったとなれば、食べられてしまったのだろうか。それともデパートの先へ進んだのだろうか。 私たちはデパートの奥へ進むことに決めた。助けを呼ぶため……という名目で。三人合流できたら二人を運べるかもしれない。 奥のドアを開けると、私たちは息を呑んで顔を上げた。ドアの向こうはデパートではなかった。巨人の部屋だった。家具から本から床の木目まで全てが巨大な、子供部屋。車みたいに大きな玩具が床に転がり、子供向けの絵本や図鑑がそれ自体が本棚みたいなサイズで並んでいる。一体なんだろうここは……。 また妙な化け物がいるかもしれない。足音に注意しながら私たちはゆっくり進んだ。すると、床に転がっている玩具が一つ声を出した。 「だ……誰かいるの?」 私たちはビックリして飛びのき、転んでしまった。しかし声の主は懸命に助けを求め、自分は化け物じゃないとしきりに主張した。声の出所には、等身大の人形が転がっていた。その顔には見覚えがあった。 「は……春香!?」 「里奈!? つぐみなの!?」 鮮やかなピンクの髪を持った魔法少女の等身大フィギュアが声を出している。可愛らしいポーズをとったまま固まり、床に転がり動かない。声はこの人形から発せられていた。 「ど……どうしたの? 大丈夫なの?」 つぐみが慌てて駆け寄り、彼女を助け起こした。しかし彼女は可愛いポーズを決めたまま手足は動かさず、口だけを動かした。 「ここに……ここに来たら、動けなくなっちゃって……」 お互いとんでもない格好をしていることには触れず、春香はそう言った。多分、彼女ものっぺらぼうに着せ替えられたのだろう。しかし、彼女の言ったことが事実だとすると……。 「っ! 早くここから……」 私がそう言うと同時に、つぐみが腰をクネクネさせて、人差し指を口元に当てて微笑み、可愛いポーズをとりだした。 「あっ……あっ」 先行者である春香がいなければ、何ふざけてんのと怒鳴ったかもしれない。しかし、つぐみが自分の意志でそんなポーズをとったわけじゃないことは明白だった。彼女は困惑するようなうめき声を出しながら、春香の隣に可愛いポーズのまま並び、動かなくなってしまった。 「そんな……」 「うそっ……なんで……」 つぐみは時折カタカタと全身を揺らしたが、手足や腰は二度と姿勢を変えることがなかった。春香と一緒に魔法少女の人形と化してしまったのだ。 「た、助けて……里奈ちゃん」 笑顔でありながら瞳には涙が滲んでいた。可愛い魔法少女の等身大フィギュアが微笑みながら助けを求めているのは滑稽であり同時にゾッとする恐ろしい光景であった。 「ま……待ってて。出口探してくるから……」 石像じゃなければ。人形なら運ぶことはできるはずだ。私は壁沿いに走り、次のドアを探した。……私はどうして人形にならないんだろう。魔法少女じゃないから? どっちかというと中高生向けのアニメのような格好してるから、子供部屋の玩具にはふさわしくないのかもしれない。でも、次のドアを見つけても無駄なんじゃないかって気がしてしまう。脱出なんてできないんじゃないか。次の部屋で私も理不尽にゲームオーバーになるのでは? そもそもどうしてこんなことになったのかというと……公園の鏡を深夜に見たら消えてしまうという怪談を確かめに……消える……。つまり、この異界から帰れないということでは……? ドアはあった。この子供部屋からしたら猫の通り道みたいなサイズ。私たちにはちょうどいいサイズのドアが。緑色の光を放っている。 急いで二人のもとへ戻ると、胸の奥がギュッと握りつぶされるように感じた。二人はもう喋らなかった。ピクリとも動かない。どう見てもよくできた魔法少女のフィギュアにしか見えない。服も肌もまるで樹脂のようだ。 「あ……」 私は一人で駆け出し、緑色のドアを蹴破るように勢いよく開き、巨人の子供部屋から脱出した。とうとう私一人になっちゃった。みんな……みんなもう……。 次の部屋は部屋じゃなかった。学校の廊下だ。私が通ってきたドアは二年三組の教室のドアだった。もうわけがわからない。どこの学校だろう……少なくとも私の中学じゃないし、小学校でもない。知らない学校。人の気配もなく不気味に静まり返り、窓の外は真っ暗だった。 自暴自棄になりながら廊下を進むと、トイレが妙に明るかった。中を覗くと、鏡が一つ紫色の強い光を発している。数秒ぼーっと眺めたのち、私は急いでその前に立った。ひょっとしたら、もしかしたら……。 眩く光る鏡を細目で見つめると、次第に光は強くなり、閃光が走った。私は思わず黄色い腕で顔を覆った。 閃光が去ると、私は変わらず学校のトイレに立っていた。ダメだったのかな。落胆して廊下に出ると、ずっと続いていた不安と緊張感を感じず、それどころか暖かい安心感を抱いてしまった。窓の外を見ると、そこには風景があった。町がある。見える。空は真っ暗だけど赤くない。 (まさか……) 走った。私は二段飛ばしで階段を駆け下り、学校の外へ出ようと走った。手遅れにならないうちに。夢が現実になっているかもしれないうちに。 校庭に出られた。化け物の気配も何もない、穏やかな深夜の校庭だった。校庭からも出られた。深夜の静かな町並がどこまでも続いている。私は確信した。戻ってきた。戻ってこれたのだと。私は目を輝かせて夜の町を疾走した。こんなに生きている実感を感じたのは、生まれて初めてのことだった。 その後、脱出してきた学校は隣町の中学だと判明。公園から異界を通じて移動してきたということになるのだろうか。異界に置き去りにしてきてしまったみんなはどうなっただろう。罪悪感で頭がどうにかなりそうだったけど、学校や警察に連絡する気も起きなかった。だって絶対信じてもらえないし。ていうかどうせ向こうから聞きに来るはず……。そう思いながら、憂鬱な夏休みを過ごす羽目になった。どこにも出かけずに引きこもって。それは別にトラウマで外出が怖くなったというわけではなく……服装の問題だった。ライムイエローのメイド服が脱げないのだ。手袋もストッキングもリボンも、身体と溶けこむように一体化していて、剥がせない。服と皮膚の間に一ミリの隙間も生じないのだ。アニメみたいな金髪ツインテールも他の髪型に変えることができず、私は絶望した。こんな……こんな格好で、これから私どうしたらいいの……これ、もしかして一生脱げないの? そんな……。 しかも両親は変わり果てた私の姿に何の疑問も抱かない。別に普通でしょ、と言うばかり。信じられなかった。おかしい。おかしくなってる。そして、女子中学生五人失踪のニュースも流れることはなく、何か知らないかと家族先生警察が訪ねてくることもないまま、夏休みは過ぎ去った。 夏が過ぎ、二学期が来た。私はどうしても黄色いメイド服を脱ぐことも、金髪のツインテールをどうにかすることもできなかった。服はいつの間にかテカテカした光沢を持った樹脂ともゴムともつかないものに変化していてハサミじゃ切れないし、髪の毛も同じように塊になっていてハサミが通らないのだ。メイド服はフリルとリボンが多くて上から服を着るとかなり不自然なシルエットになる。特に後ろの腰についた大きなリボンが邪魔だった。でも私はサイズの大きい制服を買ってもらって上から強引に着込んで隠した。正直隠せたとは言えないが、少なくとも見えなくはなった。髪はもうどうしようもない。どんな帽子を被ろうとアニメ並のツインテとアホみたいに大きな白いリボンは隠せない。学校に行きたくなかったけど、親は理解してくれなかった。 仕方なく私は真っ赤になって俯きながら登校した。こんか格好いやだよ。一生このままなの? しかし意外にも道行く人たちもクラスのみんなも先生も、明らかにふざけた格好してる私に何も言わないし、笑いもしない。いたって普通だった。そして何より驚いたのは、異界に残してきてしまったはずの五人みんなが揃っていたことだ。私はてっきりみんな脱出できたのだと喜んで声をかけた。しかし……。 「おはよう」 まるで素人が演技しているかのような棒読みの挨拶。目はどことなく虚ろで、表情に感情を感じなかった。私は予想しなかった反応にたじろぎ、それ以上話ができなかった。 五人は公園の出来事を覚えていなかった。というより、話題に上げると反応がなくなった。それどころか、夏休み以前の出来事も、覚えていないようだった。無機質に 「ああ……そうだったよね」と返すばかり。 ゾッとした。皆が皆だと思えなかった。宇宙人と入れ替わってしまったんだろうか。昔のことを覚えていないんじゃない。「知らない」んだ。別人なんだ。二、三日で私はそう確信した。このつぐみはつぐみじゃない。春香も。石田さんも……。 私は再び公園を訪れた。死ぬほど怖かったけど、昼間なら大丈夫なはずだと自分に言い聞かせて。すると、公園の中央に見覚えのある石像が飾られていた。灰色の石の台座の上に、石田さんともう一人が飾られていた。見捨てた時の姿そのものだった。 遊んでいた子を呼び止めて、あの石像がいつからあったか尋ねた。この夏かららしい。じゃあ、じゃあ……あの石像は……。 私は小声で石像に呼びかけてみたけど、返事はなかった。当然だ。石像が喋るわけがない。でも……この石像は、人間だった。私の……友達、だった。 本当に、そうだろうか? 夜中に死ぬほどリアルで、友人に似た石像を見たせいで変な妄想をしただけ……という可能性は? だって二人は行方不明になんかなっていないし、今日も中学校に来ていた。でも……あいつらは偽者だ。絶対そうだ。人間味を感じないし、私と仲良くもしてくれないし……。 他の三人はどうなっただろう。化け物に食われた土田さんは。魔法少女のフィギュアになってしまった二人は。入り口の公園と出口の中学は隣町。じゃあもしかしたら、デパートと巨人の子供部屋のこの町のどこかにあるんじゃないの? デパートは見つけた。今はデパートじゃないビルが昔そうだったことを突き止めた。昔の写真をネットから数点拾えたけど、異界の服売り場によく似ていた。 でも、子供部屋はわからなかった。隣町のどこか……民家なんだろうか。春香とつぐみが事情も知らない誰かに単なる人形として扱われて玩具にされているかもしれないと考えると胃がぞわぞわした。でも探しようがない。 ひょっとしたら私の夢だったんじゃないかという可能性もゼロではないかもしれない。いやゼロだ。ありえない。私には物証がある。……私だ。 私はいつしか、ブカブカの制服やコートで黄色いメイド服を隠すことを止め、そのまま堂々と外出するようになった。これは私にできる唯一の反抗であり世界への抵抗でもあった。あれが夢じゃなかったことの証拠。世界がおかしいことを示す根拠。恥ずかしいけど、これ以外ない。 もしも私のこの姿を見て変な反応……違う、まともな反応をしてくれる人がいたら。私の話を信じてくれるかもしれない。或いはみんなを助けられる人なのかもしれない……。 そんな一縷の望みもかけて、私は自分がおかしくないことの証明として、黄色いフリフリメイドさんとして生きることを続けた。誰か私の痴態を笑ってくれる人が現れることを願って。