目覚めたらドールハウス
Added 2025-10-23 10:59:59 +0000 UTC3日目 目が覚めた。その寝ぼけ眼に淡いピンク色の壁紙と、艶々としたプラスチック製の家具が飛び込んでくる。やっぱり夢じゃない。今現実に起きていることなんだ。三日目にして私はようやく自分の現状を受け入れる準備を終えた。きめ細やかな布と綿で作られたベッドから降りて、周囲を眺めた。昨日までと何も変わらない、ファンシーな部屋……子供部屋、いや女児部屋とでも言った方がいいかもしれない。パステルカラーで統一された壁紙とカーペット。とても可愛らしいデザインではあるが、どう見てもこれはせいぜい小学生が限界のものだ。それも中学年にもなれば恥ずかしいと感じ始めるかもしれない。最大の問題は、私が今年二十五歳になる成人女性だということ。この部屋に誰か友人知人を招待すれば、内心ドン引きされること間違いなし。まあ、そんな機会はありそうにないけど……。 他に目を引くのはプラスチック製の学習机。脇にはランドセルを模した置物が引っ掛けられている。当然、ランドセルっぽく造形しただけの置物だから、開けることはおろか、背負うこともできない。ちなみに色はピンク。目が痛い。そして反対側には時間割表が張り付けられている。算数ではなく数学になっていることから、「彼」は中学生を想定しているらしいけど、この部屋は中学生っぽくないと思う。 机には本を置ける小さな棚もあり、そこには「本」が並べられている。が、その実態はプラスチックの板。当然、読むことなんてできやしない。プリントされた教科書の表紙、背表紙が張り付けられているだけだ。小さいせいか画像が粗いけど、やっぱり中学の教科書に見える。それもおそらく中二。中二の子はこんな部屋のままにしないと思います。 ベッドの脇にはぬいぐるみ……を意識したであろう熊の置物。おそらくはキーホルダーから抜いたのだろう。固いから、ぬいぐるみのように抱き着くことはできない。見た目もだいぶ粗くて可愛くない。塗料の厚みのムラまでわかってしまう。それはまあ私が小さいせいか……。普通の人の視点なら気にならないだろうけど。 大きな振動が床から伝わってきた。といっても地震のように上下左右するわけじゃなく、巨大な生物の歩みが感覚的にわかるのだ。発生源は数秒もしないうちにこの部屋の至近までたどり着き、昨日までと同じことを行った。部屋の天井がガクンと揺れて、持ち上がる。天井が部屋から外れて宙へ上り、すぐに横へスライドし見えなくなった。天井の代わりに現れたのは、巨大な人の顔。 「調子はどう? 何か要るものはない?」 ボワンポワンとしたとりとめのない発砲音が響き渡る。何か言っている、喋っている。それだけがわかる。それだけしかわからない。「彼」の言葉は全て意味不明な空気の振動にしか聞こえない。私がおかしくなっているのか、それとも彼の力なのだろうか。 彼と言ってはいるが、正直性別もハッキリはしない。ただ何となく全体的な雰囲気と、がっしりした肩回りから男性だろうと思う。顔が見られれば一発なんだけど。でも、私に彼の顔はわからない。巨大な顔がすぐ真上に迫り、私を見下ろしているのにだ。私には彼の顔がモザイクがかって見える。髪から喉元までがモザイク処理されていてその正体はわからない。ここは現実だ。私は動画を見ているわけじゃない。なのに、彼の顔は常にモザイクで覆われている。いつ、どの角度から見ても。やっぱり、これも彼のせいなんだろう。おそらく正体がバレないための措置なんだろうけど、どうやっているかはさっぱりわからない。まるで魔法だ。 私は指一本動かすことなくジッと頭上のモザイクアートを見つめていた。目が離せない。というのは、私が彼を注視しているからではない。物理的に、本当に目が動かないのだ。手も、足も、体全体がピシッと固定されていて、指一本、一ミリたりとも動かせない。当然、声も出ない。私は石像のように固まって彼の様子を見ているしかなかった。 やがて彼が私の視界から顔を引っ込め、大きくてゴツゴツした手に持っていた天井を嵌める。その瞬間、止められていた私の時間が動き出した。元通り体が動くようになり、私は静かにベッドに腰を下ろした。やっぱりだ。間違いない。彼に見られている間、私は完全な人形になってしまう。体を動かすことはできず、声も出せない。ただなされるがまま、無抵抗になってしまう。 (私……私はやっぱり……) ドアの脇にある姿見の前に移動した。姿見といっても、手鏡を加工したものだ。今の私には手鏡が姿見になってしまう。そこに映っているのは可愛らしいフィギュアだった。ふわふわしたピンク色の髪、樹脂のような質感を放つ肌。アニメのように大きな瞳と、デフォルメされてしまった顔。中学……下手すれば小学生にも見える童顔。スタイルも子供よりだ。私が動くと鏡の中のフィギュアも動く。これが私だなんて信じられないが、三日経ってもこうということは、私は本当にこうなっているんだろう。 つまり、私は「彼」によって人形に変えられ、この部屋……一部屋が全てのドールハウスに監禁されている。どうしてこうなったのかわからないし、いつまで続くのかもわからない。人間が人形になるなんてありえない。でも実際にそうなっている。夢から覚めることを信じて二回床に就いたが、ドールハウスに囚われた人形という現実に戻るだけ。 「彼」は何がしたいんだろう。何者なんだろう。私はどうなるんだろう。永遠にここで彼の人形として暮らさなければならないんだろうか。何一つわからない中、たった一つ自信をもって言えることは、きっと明日もこのドールハウスで目覚めるだろうということだけ。 4日目 「おはよう。どう? ここの生活も慣れてきた?」 私はカチンコチンに固まった状態で、硬い泡が弾けるような発砲音を聞いた。彼が何か言っている。声を出しているということだけは空気の振動とモザイク越しの口の動きが教えてくれる。けど何を言っているのかはわからない。彼は毎日ドールハウスを覗いて話しかけてくるけど、私は彼の声すらわからない。天井が被せられると、私の体は元通り動くようになった。私は背伸びをしてベッドに倒れ込む。彼の声が聞こえないのは彼がそういう風に魔法か何かでセッティングしたからだと思うけど、だとしたら話しかける理由は何? 意味ないんじゃないの? ただの自己満足? それに私を突き合わせる理由はなに? そうだ、そもそもどうして私が人形にされてしまったのかをもう一度考え直してみよう。私は……人間、だった。二十五歳で、会社に勤めてて、アパートに一人暮らし。決してこんなパステルカラーの子供部屋には住んでいなかった。体も普通に大人で、それで……髪もピンクなんかじゃなかった。こんなにキラキラして大きな瞳もしていなかったし。 私は自分の手を掲げた。肌色一色に染め上げられた肌には一本の産毛もない。皺も染みもなく、血管すら見えない。フィギュアの手だ。爪も可愛らしいピンクよりの塗装……そう、塗装と言った方が適切な色合いだ。でも触ってみるとちゃんと自前の爪になっている。ネイルとかじゃない。 ベッドから起き上がり、姿見の前に立つ。何度見てもアニメキャラクターのフィギュアみたいだ。ピタッと止まっていれば皆がそう思うだろう。そういえばあの人が見ている間私はピクリとも動けないわけだけど、それじゃあ単なるフィギュアを飾っているのと変わりなくない? なんのために私を攫ってきたんだろう。 (いや……待った) 私の中に疑念が浮かぶ。あの人イコール犯人なんだろうか? 当然のように彼こそが私を人形に変えた男なのだと思い込んでいたけど、実は違う可能性ある? 私は懸命に記憶を手繰り寄せた。最後の晩……私が人間だった最後の日、私はどこで何をしていたっけ? それがどうしても思い出せないんだよね。ボンヤリしてる。残業に次ぐ残業に疲れ切って、深夜近くにどこかで飲んで、それから……覚えてない。誰かと一緒に飲んだような気もするけど確かじゃない。次の日、私はこのドールハウスで目覚めた。 ああそうだ。会社……どうなったかな。無断欠勤になんの? ていうか、私は今どういう扱いになっているだろうか。行方不明で捜索とかは始まっているの? ここにはスマホもテレビもないから外の情勢はさっぱりわからない。ただ一つわかっているのは、もう会社に行かなくていいということだけか。いや「行けない」と表現すべき。 僅かな罪悪感と、強い解放感が私の中に同居している。仕事……迷惑かけることになっちゃったなって思うけど、もうあの会社に行かなくていいのかと思うとホッとする。いいや。どうせクソみたいな会社だったし。どうにでもなれ。私が悪いんじゃないし。 しばらくゴロゴロしていると、家の中が静まり返っていることに気づいた。家と言うのは、このドールハウスのことじゃない。ドールハウスが置かれている彼の家の方だ。物音ひとつ、気配すら感じない。あの人は出かけたらしい。どこへ? 仕事か。だとしたら今日は平日なんだ。いや業種にもよるかな? この四日間、私は彼以外の顔を見ていない。彼が誰かと話している様子もないし、一人暮らしだろう。今朝覗きにきた時はパリッとしたワイシャツ着てたから、やっぱり社会人だと思う。顔はモザイクでわからないけど、首元から肩までは見える。少なくとも十代って雰囲気じゃなかった。同時に、それほど歳がいっているようにも見えなかった。二十代後半ぐらい? 意外と歳が近いのかもしれない。 (いや……だから何なの?) なんでさっきからずっとあの人の考察してるんだろう。自分の心配をした方がいいよ。 私はドアの取っ手を軽く握った。うーん、やっぱりダメだ。初日と同じ。これはドアのようでいてドアじゃない。ドアの絵を描いただけの壁。それに取っ手状の突起を接着しただけだ。だからここから出入りすることはできない。 今度は反対側の窓に近づいた。こっちも同じだ。ガラス越しの青空の絵が描かれているだけで、窓などない。壁そのもの。壁に窓の絵を描いただけのものだ。四方を壁で囲まれたこのドールハウスの出入り口は、取り外し可能な天井しかない。 しかし、私の背じゃ手が届かないし、届いたところで開けられるかはわからない。仮にドールハウスから出られたとして、今度はこの小さな体で巨人の家から脱出するという新たなミッションが立ちはだかる。私の身長は……彼の顔を参考にすると、大体十五センチぐらい? 逃げられるとは思えない。それに、彼の視界に入った瞬間、私の体は全身が一瞬で硬化して、指一本動かせなくなってしまうんだから。そうなれば一切の抵抗ができないままあっさりと捕獲されてしまう。その後は当然、何かお仕置きがあるはず……。 ブルッと体が震える。この定規サイズの身体で、十倍の体躯を持つ巨人の折檻を耐えられるだろうか。 まだ……まだ脱出の時じゃない、と思う。幸いにも彼は私に何もしてこないし。まだ。 5日目 彼は昨日と同様、朝に私の様子を見てから出かけていった。私は一人ドールハウスの中に取り残されている。密閉されているように見えてどこからかうっすら光が差し込むこのドールハウスは、薄暗い朝の光に包まれている。壁に埋め込んである換気口ぐらい大きなスイッチを押すと、天井の照明が点き、部屋全体が明るく照らされた。埋め込み式ってことは脆いんじゃないかと合点して、二日目にこのスイッチを両手で押したり足で蹴ったりしたのを思い出す。手足が痛くなるだけだったな。やっぱり天井だ。 学習机に登ってジャンプしてみたが、天井には全く手が届かない。教科書を装うプラスチックの塊を天井に投げつけると、カツンという乾いた音を鳴らして跳ね返される。 足場になるものがあれば天井を外せるかもしれない。私は机の上からドールハウスを見渡した。プラスチック製の家具はどれも床に接着されていて動かせない。唯一動かせて足場になりそうなのは……ランドセルの脇に突っ立っている大きな口紅。それと折り畳み式のテーブル。テーブルは茶色く円形で、脚の収納が可能になっている。けど床に置いて使うもののようで、足場としては低すぎるし、机上に置くには大きすぎる。口紅はシンプルな円柱状の容器にメタリックカラーのデザイン。その大きさは私の身長の半分以上あり、太さは私の両脚を上回る。これを学習机の上に置けば、天井まで手が届くかも。 私は両腕を回してうんしょと口紅を持ち上げ、机上に立てた。私も机に上ってその上に立とうとしたものの、細長くて重くもないせいか、口紅は滑って倒れてしまう。上からそっと乗らないとダメだ。私は学習机の棚に手をかけ体を持ち上げながら、浮かせた両足を慎重に口紅の上に乗っけようともがいた。 数分の後、ようやく私は口紅の上に乗っかることに成功。しかしこんな細長い台を足場に使って大丈夫なものだろうか。グラグラするよ。机の棚と壁に手を這わせながら、私はゆっくりと立ち上がった。あー、怖い。恐る恐る壁から手を離し、そっと上に伸ばす。まだ天井に届かない。でもあとちょっとだ。これなら……。 頼りない足場、机より高い位置。ブルブルと震える。でも……今試さなかったらどーするの? 意を決した私は、何回も深呼吸を繰り返してから、口紅を蹴ってジャンプした。届いた! 天井に手が触れる。そして次の瞬間、机の上に落下した。 「あいっ!?」 足が滑って着地失敗し、私はお尻を強く打った。いたた……。けど頭打ったり床に落ちたりしなくて良かったかな。 床に転がった口紅を机の横に戻し、私はベッドに転がった。天井は何事もなかったかのように変わらずこの部屋を覆いつくしている。けど、さっきあの瞬間、天井は僅かだが上に動いた。あの感触からするとおそらく、天井は固定されていないのではないかと思う。乗っけてるだけで、鍵とかはかかってないんだろうか。私が逃げ出すなんて想像もしていないのか、何か対策があるのか……。まあ、この現状がまさに対策か。だって唯一最大の足場だった口紅からジャンプしてもわずかに手が触れるだけって、それはつまり、脱出不可能ってことだよね。勢いつけて飛び上がっても僅かに持ち上がるだけ。私の力で天井全体を下から突き飛ばすのは無理。このチャレンジでハッキリわかってしまった。 (逃げられない、かぁ……) 私はため息をついた。これからどうすればいいのかなあ。あの人は、彼は私をどうしたいんだろう……。 私は顔を横に向け、先ほど蹴り飛ばした口紅を眺めた。他は全部ミニチュアなのに、この口紅だけ人間用の「本物」がデンとそのまま置かれているのは何ともいえない可笑しさがある。教科書とかランドセルとか、あと棚の食器とかちゃんと十分の一サイズなのに。なんでこんなもの置いてあるんだろう。ドールハウスを飾る小物が足りないと思ったんだろうか。 私はベッドから起き上がり、立てかけてあった折り畳み式のテーブルを床に設置し、その上に顔を突っ伏した。しばらく無意味に顔を左右に転がす。樹脂みたいになっている顔だけど、普通に柔らかいんだよねえ。 暇だ。もうやることがない。ここには一切の娯楽がない。ただドールハウスの中でゴロゴロするだけだ。あの人は私を人形にして何がしたいんだろう。生きた人間を人形にしたのに、自分が見る時はカチンコチンになって動かない、ってつまんなくない? まー変なことをされるよりはマシだけど。それに、十分の一サイズでここまで手の込んだドールハウスを作るのは大変だったはず。ここまで手間暇かけてやることが覗き見? (やっぱり、あれを? 期待してるのかなあ?) 私はベッド下の引き出しに目を向けた。二日目に中をチェック済みだけど、あれには手を出したくない……できれば。 6日目 私はテーブルの上に食器を並べた。全てプラスチック製で、当然ながら中身はない。最後にお茶したのいつだったかな……。もう一週間近くになるけど、私はその間一切飲み食いしていない。トイレにも行っていない。ここにトイレないけど。 しかし、空腹にはならない。喉も乾かない。体調も不変。どうやら私は何も食べなくても生きていける体であるらしい。こんなことありえるんだろうか。私、本当に「生きている」んだろうか? 実は一週間前にトラックに撥ねられて死んで、近くのフィギュアに転生していた……とかじゃないよね? テーブルの上に空の食器を並べておままごとに興じているのは、それも含めていろんなことを確かめたかったからだ。私の……なんだろう。管理者? いや誘拐犯……であるあの巨人は、概ね一日二回ほどドールハウスを覗きに来る。一回目は朝、出勤前。そして晩、帰宅後。夜にもう一回覗くこともあるけど、基本的にはその二回のタイミング。 この部屋にある唯一の電子機器。可愛らしいデザインのピンク色の時計。もうすぐ彼が帰ってくる時間だ。残業とかなければ。あーホワイトだなぁ。私の会社とは大違い……。 振動。家に人の気配が戻った。私はカーペットの上に座ったまま、彼が来るのを待った。緊張する。何も悪いことはしてないのに。彼の反応から、きっといろんなことがわかってしまうから……。 天井が外された。私は彼の反応を見るため、顔を上げる。ちょうどそのタイミングで全身が固まり、私は石像のように静止させられた。 テーブルの上に人形用の食器を広げて、席についている私。それを見た彼は、いつもと違った反応を見せた。 「おっ、それ気に入ってくれた? よかった。心配してたんだよ。ずっと不安顔だったしさ」 ボコボコボコッとした発砲音が鳴る。彼が何か言っている。その中身はわからない。でも、いつもよりテンションが高い。モザイク越しとはいえ、彼の表情が動きを見せていることぐらいはわかる。喜んでいる。彼は嬉しがっている。それはきっと、私が食器を使ったから。彼の望むままごとにつきあってあげたからだ。 心なしか、いつもより天井が開けられている時間が長かった気がする。彼はいつもより身を乗り出し、部屋の様子を観察した。他に遊んだ形跡がないか見ているのかもしれない。 やがて天井が閉じると、私は再び全身を動かせるようになった。けど、しばらく俯いたまま動く気がしなかった。やっぱり……やっぱりだ。声はわからないし、顔がモザイクでも、不思議と全体的な雰囲気から人の感情というのは伝わってくる。彼が望んでいたのは、私をここに監禁した理由はコレなんだ。彼は決して私にエッチなことをしたり、酷く扱って嗜虐心を満たそうとしたりするために私を人形に変えたんじゃない。とても単純な理由。彼は私にお人形になってほしいから人形にしたのだ。可愛らしいお人形として暮らし、それを見せることによって彼を満足させる。要するに彼の愛玩動物となるべく、私はここに囚われた。それで全てが説明できてしまう。実際、彼は私がお人形としての責務を果たし始めたことに喜んでいた。小さな可愛い食器を並べてままごとに興じる私に。そして同時に、彼に屈してしまった自分に嫌気がさす。自分を攫って監禁した相手に媚びたのだ。でも……でもしょうがない。確かめないといけなかったんだよ。 (ああ……でもそういうことなら、やっぱあれが……メインコンテンツ、なんだろうな) 立ち上がり、ベッド下の引き出しに手をかける。その中にあったのは、二日目に見た時と変わらない、フリッフリの少女趣味な洋服たちだった。 7日目 ベッドの上に寝ぼけているところを彼に見られた。私は寝起きのボケた顔のまま固められ、その様子をジックリと観察されてしまった。相当の屈辱だったけど、どうしようもない。彼の視線を浴びている間、私の体は筋肉の筋一本たりとも動かせないのだから。 彼が出かけてから、私はパジャマ姿のまま姿見の前に立った。フィギュアの身体だけあり、いつ見ても整っている。髪がボサボサのままでも、そういうキャラとして通りそうだ。顔はデフォルメされている上に、肌は汚れ一つないツルツルの樹脂みたいに綺麗な状態だから、一切手入れの必要がない。朝むくれることもない。目をパッチリ開くだけですべての準備が整う。メイクはおろか顔を洗う必要すらないのは楽っちゃ楽だけど、不衛生に感じて気持ち悪い。そういえばここに閉じ込められてから一度もお風呂入ってないな。とはいえ自分の体を嗅いでも嫌な臭いはしない。というか、匂い自体がない。汗もかかないし垢も出ないもんね。なんでこの体で私は生きていられるんだろう。わからない。 テーブルを片付けてスペースを確保した後、私はベッド下の引き出しを開けた。そこにはたくさんの服が詰まっている。服というよりは衣装と言った方が適切かもしれない。派手な飾りがたくさん着いたキラッキラのアイドル衣装、フリルとリボン満載の魔法少女コスチューム、パステルカラーの子供服、その他メイド服にチア、ロリータよりの服等々。パッと見た感じ、サイズはどれも私に合わせてある。二日目にこれを見つけた時は気持ち悪くてすぐに仕舞った。今もそれは変わりないけど……いや、彼の意図を掴めてきた今だからこそ更に嫌悪感が増しているかもしれない。 とはいえ、今私が着ている服も相当アレだけど。このドールハウスで目覚めてから一週間、私はずっと同じ服を着続けている。ピンクの生地に派手な白レースやフリルで彩られたこのワンピースパジャマは、二十五の寝間着としてはなかなか恥ずかしい。髪がアニメみたいなピンク色になっているせいで、尚更だ。でも着替え先はもっと恥ずかしい服しかないし、私を攫った男がそうすることを望んでいるのだと確信を持てた今、着替える気はまるでおきない。人を拉致監禁した男に魔法少女のコスプレをして媚びるなんて死んでも御免だ。 晩。帰ってきたあの人……なんて呼ぼう。そういえば彼の名前知らないや。どうでもいいか、どうせ会話できないんだから。とにかく彼は昨日までと同様に天井を取り外し、ベッドに転がっている状態で固まる私の姿をとらえた。 すでに食器は片付けてある。一昨日までと同じ、無気力な姿に飾り気のない状態で彼を出迎えたわけだけど、彼は一瞥するなりすぐ天井を閉じた。瞬間、私の心臓がドキッと跳ねた。体は自由に戻ったはずなのに動けない。今、私は何をしちゃったんだろう。何もしてない……何もしないことをした、選んだ。彼が失望……とまではいかないかもしれないけど、期待を裏切られたであろうことは嫌というほど伝わってきた。鼓動が早まり、次第に悪寒が走り出す。怒らせてしまったかもしれない。いや怒ってはいなかったよね? 私が……ふてぶてしくも露骨にやる気のない表情で転がっていたから。反抗的だと思われたかもしれない。お前なんかには従わないぞ、という意思表示だと受け取られたかも。ついさっきまではそれが正しいことだと感じていたのに、今はやらかしてしまったとしか思えない。彼が表情を動かさず、すぐに天井を閉じたあの瞬間、張りつめた冷たい空気が寝ていた私の生存本能を刺激したらしい。何はともあれ、今現在彼は私の飼い主、或いは「所有者」であり、生殺与奪の全てを握っているのだということを直感的にわからされた。彼が失望の意を示した瞬間、理解させられた。私はどうして十倍の背丈を持つ巨人に抗おうとしたのだろう。あの天井を持ちあげる巨大な手がひとたび私に向けられれば、あっという間にこの世からおさらばだ。監禁というイメージとは程遠いファンシーな部屋に囚われ、人形に変えられるという非現実的な状況のせいですっかり感覚が麻痺していた。彼は私を誘拐し、閉じ込めた男で、そして十倍のスケールを持つ巨人なのだ。くだらないプライドで抵抗ごっこをしていい相手じゃなかった。もしお仕置き……そうだ、もし、人形のまま殺されてしまったら私はどうなるんだろう? 死体も……人形のままなの? だとしたら……。ゾッとする。関係ない人たちからは、私の死体は死体だとすら認識されないだろう。私の「遺体」は単なるフィギュアとして捨てられるか、売り飛ばされるか……。嫌だ。誰にも死んだことさえ気づかれないまま、永久に遺体を玩具にされるなんて。 想像が悪い方へ悪い方へと進んでいく。それも全ては彼をガッカリさせてしまったからだ。何とか取り返せないだろうか? 今日はもう覗いてこないかな……。まさか早速明日処分なんてことは……。流石にそれはないかな。わからない。あの人がどうでるのかサッパリ。でも人間を人形に変えて監禁する男だ、どんな凶行に出てもおかしくはない。 あっそうだ。今日って確か、ちょうど一週間目だよね? 区切りにはちょうどいい日だ……。 私は引き出しを開けた。さっきまで気持ち悪くて仕方がなかった衣装たちが、今は輝いて見える。これさえ着ておけばおそらく殺されないし、傷つけるような暴行も多分受けないという最強装備なのに、どうして私は拒んでいたんだろう。急いでパジャマを脱ぎ捨て、メイド服に着替える。長袖のロングスカートでシルエットはシンプルだけど、過積載のフリルと腰についた大きなリボンが目を引く。でも多分一番地味な衣装だと思う、これでも。 セットであろうホワイトブリムを装着。姿見の前に立つと、そこには可愛らしいメイドのフィギュアが映っていた。ピンク色の髪にフリフリなメイド服。アニメのキャラクターにしか見えないけど、これが私なのだと思うと顔から火が出そうになる。元の私がこんなメイド服着てたら……似合わないだろうな絶対。 しかし、私が着替えたからと言って彼がそれを察して見に来てくれるかというと、そんな都合よくもいかなかった。やがて彼の家は寝静まり、私も諦めてベッドに横たわることを余儀なくされた。朝だ。明日の朝に賭けよう。メイド服を着ているところを見てもらえば、今日の失点を取り返せるかもしれない……。 8日目 緊張のせいか、いつもより早く目が覚めた。時計は五時半を指している。もう一度寝ようか、いやうーん……。今朝は真面目な所を見せないと私の身が危ない。真面目ってなんだ。メイド服を着て誘拐犯に媚びることが真面目なのか、と私の自尊心が囁く。でも助けが来るまで生き延びるのが最適解なんじゃない? だったらやっぱりある程度は彼に気に入ってもらえるよう振る舞う必要はあると思う。大丈夫。表面上は大人しくするだけ。心まで屈するわけじゃない。服を着替えただけだよ。 六時半過ぎ。いつもなら彼が起きる時間。多分。どうやらドールハウスが置かれている部屋は寝室ではないらしく、正確なとこはわからない。……てことは1LDKじゃないんだ? 割と若くて一人暮らしなのに。意外と小金持ちなんだろうか。いいとこ勤めてるのかなぁ。ていうか、十分の一スケールのドールハウスを暮らせるレベルで作るって結構な手間暇、それにお金もかかるよねきっと。結構いい生活をしているのは間違いなさそう。だからなんだって話だけど。 七時を過ぎ、七時半になり、それでも彼はこなかった。私は昨日着替えたメイド服のままずっと待ちぼうけを食わされている。次第に心配になってきた。寝坊? 会社遅刻するんじゃないの? 大丈夫? ……いや、どうして私がそんな心配をしないといけないの。アホか。 八時をとうに過ぎたころ、ようやく彼の歩く振動がドールハウスに伝わってきた。……来た! 正念場だ。私は部屋の中央に立ち、背筋を伸ばした。天井をジッと見つめ、「ご主人様」を待つ従順なメイドと化して審判の時を待つ。 ドールハウスが揺れ、天井が外される。私のご主人様はその巨大なモザイク顔をあらわした。一瞬の間の後、モザイクの下で彼の表情が大きく動くのがわかった。 (やった!?) 私は例によって全身が凍結し、表情一つ変えられないメイドフィギュアにされてしまったので、あとはただ成り行きに身をゆだねることしかできない。が、今回は期待してもよさそうだ。 「おおっ、可愛い! 似合ってるよー、それ」 彼の吐いた息が私に届いた。生暖かい空気がうっすらと私の前面を取り巻く。初めて、彼が人間なんだと実感することができた。巨人にモザイクの合わせ技で、どことなく別世界の存在、超常的な支配者めいたイメージを知らず知らずの間に抱いていたみたい。彼は人間を人形に変える不思議な力を持っているのかもしれない。けど、その実態は普通の人間、息を吸って吐く、ご飯を食べる、トイレでウンチをする、そういう存在だったのだ。だとしたら……つけいる隙もあるのかも? とにかく、好意的感触だったことは間違いない。いつもより大きな声を出すほど喜んでくれたのだ。まあ、私の耳には相変わらず変な発砲音にしか聞こえないけど。ともあれこれで処分とかはなくなった。と思いたい。 彼はさらに首を伸ばし、いろんな角度から私を観察した。ドキドキしてきた。恐怖と羞恥が同居する心臓に悪い興奮。絶望的体格差を持つ巨人の接近を許していることで、本能が警報を鳴らす。山の中で熊に出会った時はこんな感じなんだろうか。いやそれ以上。怪獣だよこれは。全身が硬化して筋肉の繊維一つたりとも動かせずにいることが、ますます私を焦らせる。今すぐこの怪獣の下から逃げ出さなければ命はないと、生存本能がけたたましく鳴り響く。でも体は動かない。指一本も動かないんだよ。 同時に、憎むべき相手に媚びて、メイド服を着て見世物になっている自分が心底恥ずかしい。 (そんなジロジロ見ないでよ……) 私の本能は彼を怪獣と、理性は危険なオスと認識しているようで、二つの危機意識が両輪で私を責め立てる。だが私はこの場から逃げ出すことも、彼に拒否の意志を示すことすら許されない。動きたいのに動けない。凝固した体の中で、私は声にならない叫びをあげて、一ミリも動かずに悶え続けた。 ようやく天井が閉じられ、体が解放されると、瞬時に顔が真っ赤に染まった。まるで顔面の血管がずっとこの時を待ち構えていたかのように。 (あ~、う~) ゴロゴロとのたうち回る。さっきまでできなかった悶えをたっぷりと消化させてもらったのち、急ぎメイド服を脱いだ。もー嫌。死ぬほど怖くて恥ずかしかった。なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないの? これから助けが来るまでずーっと彼にこうして媚び続けなければならないんだろうか。 下着はないので、メイド服を脱ぎ捨てた私は全裸になった。ふと気になって姿見を覗くと、そこには有無を言わさぬ「全年齢ボディ」が映っていた。乳首がない。ほんのりと膨らんだ私の胸はテカテカとした光沢を放つ平坦な曲面であり、乳首のような突起物がない。股間も同じだった。マネキンのようにツルッツルで、あるべき穴は一つもない。なるほどこれじゃあトイレは必要ないわけだ……。 (……人形だ) そう。私は人形だった。ピンクの髪とアニメみたいに大きな瞳を持つ着せ替えフィギュアだった。その事実を何よりも雄弁に物語る衝撃的な光景。どうして今まで気がつかなかったんだろう。……着替えなかったからだけど。 再び彼の足音が聞こえてドキッとした。裸は見られたくない。もはや隠すべきものがなかったとしてもだ。慌ててメイド服を着なおしたものの、その甲斐なくご主人様はメイドを無視して部屋から出ていったようだ。ドアの開閉する振動を感じた。 (何なの?) 時計を見ると八時半をとうに過ぎている。会社間に合わなくない? 大丈夫? と、私はなぜかヤキモキした。時間大丈夫ですかと声をだしたくなったくらいだ。まだ社畜根性が私の中に残っているのだろうか。まだ一週間だというのに、人間としてあくせく働いていた日々が遠い昔のように感じる。 九時を過ぎても彼は家にいるようだった。ドア……の絵が描かれた壁に耳を押し当て、私は彼の動向を探った。誰かと話してる? いや……テレビの音っぽい。特に慌てる様子もなく、のんびりしているみたい。 (あっ、そっか) 今日は休日なんだ。じゃあ彼はずっと家にいるの? その日、かなり頻繁にドールハウスの天井は外された。私はメイド服を着たまま、何度もカチコチに固められ、彼に鑑賞される羽目になった。メイド姿を見られるのも動けなくされるのも相当な屈辱だったが、耐えるしかなかった。彼は私という人形の所有者であり、全ての運命を握る存在なのだから。 正直、助けが来るとは思えない。じゃあ、自力で脱出するしかないのだろうか。どうやって? それはまだわからないけど……マスターに従順な人形を演じつつ、脱出の道筋を探ることが私の取るべき指針になるのかな。それ以外なさそうだね。 私は私のマスターさんに心の中で挑戦状をたたきつけた。あなたを喜ばせるためだけに生きる人形にだけは絶対ならない、と。……あと、日に何度も天井を開ける時は前もってわかるようにしてほしいかもという直訴状も。純粋に、あまり変な表情やポーズで固められたくないという見栄もありますので……。