『金銀妖賭譚 博徒狸と堕福の賭場 -1-』
Added 2019-09-02 12:45:50 +0000 UTCおわび 以前予告でお伝えした『狐獣人の大学生が監禁されてエロ配信をする話』ですが、思いのほか筆が乗らなかったので没になりました。ごめんなさい! 代わりと言ってはなんですが、別の小説を書いたのでこちらに上げておきます。狐と狸が闇賭場に乗り込んでいろいろしたりされたりします。褌多めです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『金銀妖賭譚 博徒狸と堕福の賭場 -1-』 流れに揺れる小舟の舳が、月光の溶け込んだ海面を切り裂いて進んでいく。生温い夜半に耳障りな音は無く、小船を漕ぐ櫂の音ばかりが小気味よく響いていた。 小舟に見えるのはふたつの影。まず一人、舳に立って舟を漕ぐ長身痩躯の狐獣人こそ、火付盗賊改の金吾(きんご)である。 被った笠の下の双眸は剣呑であるが、それを差し引いても大層端正な顔立ちをしている。齢三十半ばとは思えぬほど引き締まった肉身に、仄かなくすみを見せつつも未だ美麗な黄金の毛並は秋の稲穂を思わせる。 同心頭としての引き締まった出で立ちではなく、薄紺の長着に羽織といった普段着に近い恰好の金吾は、目先に近付いてきた小島をぐっと睨み付けていた。 煌々と明かりの灯った豪華な建物がいくつも立ち並ぶ様子はたいそう絢爛で、浮世離れした魔性の魅力を放っている。島の名を福耳といい、国に幾つも存在する違法賭場の一つである。その規模の大きさは五本の指に入るとされ、日々穢れた大金が回っているという。 金吾は公明正大が身を成したと噂されるほどに誠実な正義漢であり、その能力の優秀さたるや、若くして強盗や賭博を取り締まる火付盗賊改に選ばれる程である。 そんな金吾が穢れた金の回る賭場に向かう理由など、一つしかない。秘密裏に潜入し、福耳島の賭場を締める胴元を取り締まるが金吾に課せられた命令であり、彼の目的である。故に島の全景をぎりりと睨み付け、気を高めようとしているのだった。 正義に息巻く金吾とは対照的に、もう一人の方は暢気なものである。鼻歌混じりに船尾に立ち、水面に向かってじょろじょろと小便を飛ばしている恰幅の良い狸獣人。名を銀平(ぎんぺい)といい、当人曰く仁義に篤い賭場荒らしである。 賭場荒らしに仁義も何もあるものか、という話だが、彼が荒らして回るのは所謂闇賭場であるという。やくざどもの温床を賽ひとつで叩き伏せ、颯爽と去っていくのを生業にしている、なんとも危険な男である。 そんなことをしていれば方々から恨まれるのは道理の筈だが、どういう訳か彼はまだ五体満足だ。逃げ足が速いのか、よっぽど天運に恵まれているのか。あるいは悪運かもしれないが。 銀平は簡素ながらもしっかりとした服装に身を固める金吾とは逆に、裸に羽織、下は白い越中褌一丁という荒い身なりであり、でっぷりと突き出した腹に、いかにも狸らしくもっこりと膨らんだ股間等どうにも小汚らしさが漂っている。人相も悪く、脂ぎった頬がてかてかと光っている始末。近寄れば僅かに酒臭く、正しく鼻摘まみ者である。 「銀平、その長小便は何時になったら止む。もう直ぐ桟橋に着くぞ」 「へいへい、もう間もなく止まりやす」 何もかもが相対的なふたりが同じ舟上に居る理由といえば、銀平が金吾に協力を持ちかけた為だった。 一体何処で嗅ぎつけたのか、福耳島への潜入を控えた金吾の前に突然現れた銀平は、賭場荒らしとしての悪行に目を瞑ることを条件に案内を買って出るとのたまった。曰く、福耳島は賭博の素人が歩くには危険すぎるとの事で、脅すつもりはないが生きて帰れるとは思えないと言うのである。 普段なら戯言と一蹴する金吾であったが、常々福耳島の良からぬ噂は耳にしていた。興味本位で足を踏み入れた者はみな手足を削ぎ落とされた亡骸として戻ってくるだとか、兎に角凄惨な噂ばかりである。怖気づく訳ではないが、一筋縄でいかない案件なのは金吾とて十分承知していた。故に、不本意ながらも銀平の助力を呑んだのである。 桟橋に舟を泊め、金吾と銀平は福耳島の南部に上陸する。遠景の派手やかな様子とは裏腹に、南部のほうは人っ気もなく閑散としていた。桟橋の根元、地面との境には門番らしき屈強な猪獣人が立ち、こちらへ向けてぎろりと睨みを利かせている。一般の民草であれば尻尾を巻いて逃げ出しそうな程の剣幕だが、銀平は意にも留めず気さくに手を上げ、猪獣人の門番へ歩み寄った。 「へへ、久しいねェ。覚えてるだろ、おいらの事」 「忘れるもんか糞狸。手前に散々搾り取られたせいでこちとら酷ェ目に遭ったんだぜ」 「ひひ、ンなもん負ける方が悪いのサ」 ははは、と互いに談笑を交わす様子を見るに、銀平と猪獣人は顔見知りのようである。 銀平は幾度となく福耳島に渡ったという話であり、そこよりの縁なのであろうと金吾は理解する。 「で、そちらのお狐様は? 銀の字の連れかい? ……へえ、中々いい男じゃあないか」 不意に猪獣人の視線が向けられ、金吾は身を張った。じろり、と舐め回されるような視線を浴びるのはたいそう不愉快だった。しかし、下手に悪目立ちするのも好ましくないと判断し、小さく頭を垂れる。 「こいつは金。おいらの連れさ。おいらと同じ銀竹だぜ」 銀平が懐から銀箔の絵札を出すのに合わせ、金吾も同じ札――予め銀平から渡されたもの――を取り出し、猪獣人に見せる。 銀平曰く、この絵札が福耳島における身分証のようなものらしい。上から順に金松、銀竹、銅梅の位に分かれており、上に行けば行くほど大きな金が動く賭場に立ち入れるという。基本的に位は銀竹より始まり、胴元への借金がかさめば銅梅へ、より多くの金を上納できたならば金松へ上がることが出来る。最も、金松に上がる為には目が回るほどの金を注ぎ込まねばならないらしく、もっぱら裏のお偉方の遊び場となっているらしい。 「……あい、確かに。では、そこの小屋で着替えてから行け」 札を確かめた猪獣人は、桟橋の近くにあるぼろ小屋を指差した。着替えというのが何を指すのか分かりかねるが、下手に質問して怪しまれては堪らない。ひょいひょいと足を向ける銀平に続き、金吾も小屋の中へと立ち入った。 小屋の中には多くの棚が立ち並び、銭湯で使われるような脱衣籠がいくつも置かれていた。中は空のものもあれば衣類一式が無造作に詰め込まれたものもあり、籠には番号を示す札が提げられている。 金吾と銀平以外に人影はない。空の脱衣籠の前を陣取り、いそいそと羽織を脱いでいく銀平の様子を見て、金吾は眉を顰めた。 「銀平、着替えとはどういうことだ」 「ン? あァ、そういや説明してねェか、こりゃ失礼。此処福耳島では、立ち入る際の格好が決まってるんでさァ」 「格好?」 「位によって着ていい服が違うのさ。おいら達銀竹は褌一丁で過ごすのが決まりでね。因みに金松は自由だし、銅梅に関しちゃ素っ裸でいなきゃなんねえ」 言いながらも銀平は手早く羽織を畳み、草履を脱いで籠に投げ込んでいる。金吾も促され、渋々羽織に手を掛けた。 「……何故そんな決まりが?」 「そりゃあ、上としちゃ物騒なもん持ち込まれちゃ堪んねえからなァ。金、おいらに感謝しとけよ。おいらが銀竹の絵札を融通してなかったら、あんさん相当な金を払わされるか、若しくは銅梅として金玉ぶらつかせながら歩く羽目になってたんだぜ」 「……」 ひひ、と下衆な笑いを見せる銀平。金吾は素っ裸で出歩かされる己の境遇を想像して身震いする。生憎と、裸を晒して興奮するような趣味は金吾には存在しない。銀平の協力が無ければ、と思うとぞっとするばかりだった。 「あと、これは噂なんだがね。……此処の胴元、どうやら大層な男色家らしい。野郎の裸が大好物ってんで、こんな格好させられてんのかもなァ」 「大層な趣味だ」 「ひひ、全くで。普段は金松の方で遊んでるが、偶に下の方へ降りてくるって話さ。あんさんいい男だから、引っ掛けられるかもしれねえな」 「……そうか」 余り嬉しい話ではなかった。しかし、もしもその場に立ち会う事が出来れば、賭場潰しの好機に成りうるかも知れない。銀平の言葉を胸に刻みつつ、金吾は長着と羽織、笠を脱ぎ、朱い六尺褌一丁の姿になった。 「いやはや、ご立派様でありますなあ」 「……」 銀平の茶化しに、金吾は砂を噛むような顔をする。幾つになっても、人前で裸体を晒すのはどうにも落ち着かない。 腰に手を当て、堂々と股間の立派なふくらみを見せつける銀平に対し、金吾はどことなく落ち着かない様子で両手を前に回しながら立っている。巨玉故に膨らんでいる銀平とは逆に、金吾の褌の前袋は巨根の為に張り詰めていた。勃起している訳でもないのに、褌越しでも陰茎の形がくっきりと浮かび上がる程のご立派様であり、歩くだけで人目を集めるのは一目瞭然であった。 「さて、そろそろ行きますかい。おいらが先導するんで、しっかと着いて来て下せえ」 銀平を先頭に小屋を出る。夏の夜半とはいえ、ひんやりと湿った海風は裸体には肌寒く、登る石段の冷たさが素足を伝って直に身体に流れ込んでくる。嫌が応にも自分が素っ裸であることを意識させられ、愉快気な銀平とは真逆に、金吾は何とも言えない心持になっていた。 石段を登り切ると、粗末な藁小屋が周縁に添っていくつも並ぶ、円形の広場に差し掛かる。中央には大きな火が焚かれ、その周囲にはいくつものござが敷かれていた。ござの上では賽子賭博らしきものが行われており、賽振りと進行役を除いては皆素っ裸であった。褌一丁すら身に付けていないのを見るに、ここが銅梅の位を持つ連中がたむろする場所のようである。 人の数は多い筈なのにどうにも陰気な雰囲気が漂っているのは、客連中の目が軒並み濁り切っているからであろう。賽の目を覗き見ては唾を吐き散らし狂喜する者、はたまた絶望に呻きながらのた打ち回る者の二つに分けられ、いずれにせよその所作は狂気じみている。賭けの深淵を一瞬覗き見たような気がして、金吾は眉を顰めた。 「金、あんまりじろじろ見つめるのは止めといたほうがいいぜ。ここに落とされた連中に理性なんざ存在しねえ、きんたま噛み千切られちまうぜ」 「……何故、こんな事に?」 「そりゃ、こいつらにゃあ勝って上に上がるしか道がねえからな」 賭けに熱中している銅梅どもに聞こえないよう声を潜めつつ、銀平について広場を横切る。銅梅共は碌に身体を洗っていないのだろう、その毛には虱が浮いている始末だ。獣臭さと糞尿の刺激臭が入り混じったような、おぞましい臭気が広場に漂っていた。 「銅梅に落ちた連中ってのは、盛大にスッちまって胴元に金借りてる奴さ。そうなりゃ銀竹になるまで家には帰るための渡し船にも乗れず、福耳島で暮らすことになっちまう」 「此処で、だと? 居住区でもあるのか」 金吾の問いに、銀平はちらりと藁小屋に視線を投げた。 「そこの藁小屋に何人も詰め込まれんのさ。おいらも一回落ちた事があるがまあ酷ぇもんだぜ。寝藁には虫が湧き、飯は一日に一度薄い粥が振る舞われるだけ。湯屋なんて当然ねえし、便所もねえからその辺で済ますしかない」 「……地獄だな」 広場全体におぞましいほどの臭気が漂っている理由をなんとなく理解し、金吾は溜息を吐いた。余りに非人道的過ぎる境遇に、怒りさえ湧いてくる程だった。 「そう、地獄。だから這い上がろうと躍起になる。奴らの目が獣のようにぎらついてんのも、地獄から抜け出そうと必死なのでさあ。あまり刺激してやらないでくだせえ、明日は我が身ってね。ひひ」 「……」 金を納める為の手段が賭博しかないという点が、なにより恐ろしいことだった。普通の借金ならば地道に働いて返済するという安定した道のりが存在するが、ここではそれすらない。ひたすら狂ったように賽を振り続け、幸運が降りるのを祈り続けるしかない。まるで砂地獄から這い上がろうとする虫のようだ、と金吾は瞳に憐みを滲ませる。 それと同時に、胴元に対する怒りが湧きあがってくるのである。意図したうえでこのような地獄を生み出し、銅梅達がもがくさまを愉しんでいるというならば、とんだ性格破綻者にも程があった。 やがて広場を抜け、もう一度石段へと差し掛かる。道を塞ぐ門番だろう、襤褸の腰布一丁の鷹獣人に銀竹の札を見せ、金吾と銀平は先へ足を進めた。 「銀平。もしどうしても賭けに勝てず、返せないほどに借金が膨らんだとしたら、彼らはどうなる」 「そうなりゃ一巻の終わりだな。金松の連中に身売りされるとか、金松の賭け事の駒として使われるとか、色んな噂があるが詳しいこたぁ知らねえ」 「……賭け事の駒?」 金吾の問いに、前方の段を歩く銀平は肩を竦ませた。 「それに関しちゃおいらの口から言えないね。だが、聞くところによると随分猟奇的な遊びらしい。焼けた鉄板の上でどれだけ耐えられるか、とか煮立った湯の中に――」 「分かった、もういい……」 聞いているだけで血の気がよだつようで、続けようとする銀平の言葉を金吾は遮った。ともあれ、五体満足でいられるとは思わない方が良さそうである。金吾は唇を強く噛み、気を入れ直した。 石段の終わりに近付くにつれ、視界が少しずつ明るくなっていく。 それだけではない。耳を突く愉快な音楽に雑踏の喧騒。 次第に近づいてくる祭囃子を聞いているようで、油断すれば直ぐに浮足立った気分にさせられてしまうだろう。 石段を上り終えた。仰々しい木組みの門の前に立つ見張りの犬獣人に銀竹の札を見せ、門戸を潜る。果たして鬼が出るか、それとも蛇が出るか。 「さァ着きましたぜ。ここが銀竹共の根城、通称『福耳街』でさァ」 銀平は振り返り、愉しそうな笑みを口端に浮かべながら金吾を見やる。金吾は思わず息を呑んだ。 そこにあるのは、まさしく街であった。 万華鏡を通して見やったように、ありとあらゆる建物が眩い灯火に飾り立てられている。京の都の祭夜を思わせる絢爛模様であり、その強烈な色彩より来る美しさは胸やけがするほどに濃いものであった。成程確かに、銀平が玩具を貰った稚児の様に愉しそうな笑顔を見せるのも納得できる、と金吾は思う。 漂うのは強い酒気。香が焚かれているのか痺れるように甘い香りも仄かに漂っている。雑踏を歩く褌一丁の獣人達の目は爛々と輝き、先程流し見た銅梅達とは違った意味でぎらついた雰囲気を纏っていた。銅梅達が空腹の為に飯種を渇望する眼差しを見せるのであれば、銀竹の連中は肥える為により豪華な飯種を渇望するというところであろうか。 「ひひ、予想以上って面だ」 「……ああ、これは驚いた。こんなに人が居ることも、ここまで街文化が形成されていることも」 胴元は余程の財力を備えているらしい。否、財力だけではない。ここまで広大な巣を作るには、相応の人脈も必要となるだろう。裏の社会においても、かなり地位の高い人物が裏で糸を引いているだろうことは想像に難くない。 しかし、金吾にとってその事実は、恐れには繋がらなかった。相手が巨悪である事実を実感することで、より一層の正義に身を燃やしている。褌を締め直してかからねばならない、と思うのである。 「さァて、今日は何で遊びましょうかねェ」 息巻く金吾の隣で、銀平は硬貨のたっぷり詰まった布袋をじゃらつかせている。遊ぶ気満々のようであった。 「おい、銀平。話が違う。捜査の協力という名目でお前を雇ったんだぞ」 「なに、ちょいと引っ掛けるだけでさあ。……それにほら、郷に入りては郷に従えと言うじゃあねえか。あんさんが外の方から探り、おいらが賭場を渡りながら内側から探りを入れる。どうよ、完璧な計画でしょ」 よく舌のまわる男だ、と金吾は溜息を吐いた。言葉通り“ちょいと”で済むはずがないと思いつつも、しかし銀平の言にも一理ある。金吾自身賭けにはあまり敏い方ではなく、深く踏み入っての調査は困難を極めるだろうという自覚はあった。銀平が内側から探りを入れてくれるのであれば、利害は一致すると言っていいだろう。 「分かった。真面目にやるなら許可する。三刻後にこの場所で落ち合う手筈でいこう」 「流石、話が分かる男前! ひひ、さあてどこから荒らしてやろうかねェ……!」 「……真面目にやれよ」 すっ呆けた狸顔が一瞬の内に賭場荒らしの獰猛な顔に変化するのを見て、金吾は頭痛を覚えるのだった。 早速近くの賭場に消えていく銀平を呆れた顔で見送りつつ、金吾はひとまず福耳街の全景を見て回ることにした。 どうにも、福耳街は三つの区域――賭場区、宿場、飯通り――に分けられているようである。ここの宿場・飯所は金さえ払えば任意で使用できるようで、日を跨いで賭け事に勤しむ賭狂い共に愛用されているというのが銀平の話であった。勝ち続けている限り、俗世をかけ離れた楽園のような空間で日々を過ごすことが出来るというのは、成程飼い慣らしの手段としては常套だろう。 ともあれ、まだ夜は浅い。宿場よりも飯処に人足が集まる筈だと踏み、現在金吾は飯処の方角へと足を運んでいる。 飯通りは思惑通り混み合っていた。一本通りの端に屋台が立ち並ぶ形であり、既に多くの褌男達が酌を酌み交わしていた。漂い混じり合う様々な飯の香りは蠱惑的に鼻腔をくすぐるもので、贅の限りを尽くしたくなる気持ちも成程理解できないではない。 酒気の魅力を振り払うように足早に歩いていると、不意に金吾に声が掛けられる。 「よう、そこの狐のニイちゃん! 中々好い身体してんネェ、うちで一杯どうだい」 声の方を振り返ると、そこは煮込み屋台のようであった。店主らしき青肌の鮫獣人が屋台越しに気のいい笑みを見せているが、紺色の褌一丁の良く鍛え上げられた肉体には傷痕が目立つ。どう見ても堅気の存在ではなさそうだった。 屋台は繁盛していないのか開けたばかりなのか、他の客は見当たらない。聞き込みには適していると判断し、金吾は屋台へと足を向けた。 「あいらっしゃい! 何にするよ」 「酒と肴を適当に。……少し、聞きたいことがあるんだがいいか」 「なんだい。よく当たる富籤の場所なら――」 「胴元の事が聞きたい」 金吾がその言葉を発した瞬間、朗らかな表情で接していた鮫獣人の双眸が鋭くなる。 「……手前ェ、聞いてどうするってんだ」 どん、と音を立てて金吾の前に酒瓶が置かれる。どすの利いた声で問う鮫獣人の態度はやはり堅気のものとは程遠く、相手に恐怖を与える凄み方を心得ているようであった。唯のごろつき風情の脅しではなく、鈍い殺意のようなものさえ漂っている。 「用事がある」 しかし、それしきの脅しで引き下がるような金吾ではない。涼やかな顔で真正面から鮫獣人を捉え、一言告げて押し黙る。しばし沈黙の睨み合いが続き、張り詰めた空気が立ち込めた。 両者共に引かず、無言の闘争。先に折れたのは鮫獣人の方であった。チッ、と露骨な舌打ちをし、視線を逸らす。 「教えてやらんこともない。……が、条件がある。――おい和仁助! ちょいとこっち来い!」 鮫獣人が手招きをして呼び寄せたのは、向かいの屋台で独り呑んでいた鰐獣人である。長身痩躯の金吾を悠々越えるであろう巨漢であり、巻き付けられた褌は今にも引き裂かれて弾け飛びそうなほどに伸び切っていた。やはり全身には無数の傷痕が走り、片目は潰れているのか黒い眼帯を付けている。案の定堅気とは程遠い見た目であった。 「……彼は?」 「条件ってのは、この和仁助と飲み比べをして勝ったらって事さ。大酒杯で一杯ずつ、先に音を上げた方が負け」 金吾の前に酒杯が置かれる。大、というだけあり中々の量が注げる様で、金吾の顔の大きさとほぼ同じ程であった。これで十杯となれば、かなりの量を飲み干さなければならないだろう。巨漢の鰐獣人に対峙するには、痩躯の金吾では些か分が悪いように思えた。 「いいだろう、受けて立つ」 しかし、金吾は条件をすんなりと呑み込んだ。その澄ました顔には一切の焦りもなく、寧ろ余裕綽々といった気風を漂わせている。その態度が気に食わないのか、鮫獣人は鉄のような無表情の中に怒りを隠そうともせず滲ませていた。 「ここの酒は強い。娑婆のもんとは訳が違え」 視線を鮫獣人に向けたまま、和仁助と呼ばれた鰐獣人はぼつりと呟いた。 それが金吾に向けた最後の警告であることは明らかであったが、金吾は口端に静かな笑みを浮かべるばかりであった。 「そうか。それは楽しみだ」 「……吠え面掻くなよ、伊達男」 二人の酒杯に、なみなみと強い雑酒が注がれる。鮫獣人の乾杯の音頭と共に、飲み比べが始まった。 いつの間にか、杯を傾ける二人を取り囲むようにして人だかりが出来ていた。というのも、どこの馬の骨とも知らぬ狐男が、あの和仁助と対等に渡り合っているという噂が飯通りに流れた為である。 和仁助とも言えば福耳街で五本の指に入る大酒呑みで、意気がった新人潰しとして悪名高い男である。見知らぬ顔を見つけては飲み比べを挑み、相手を酔い潰して嘲り笑うのが趣味という下劣な輩で、特に整った顔立ちの野郎を目の仇にしている。 かの狐男も好いように玩ばれ辱めを受ける羽目になると鮫獣人は踏んでいたのだが、どうも雲行きが怪しい。 「御代り」 「……く、糞が」 杯は既に十の大台を超え、飲み比べは佳境に差し掛かっていた。一杯目となんら変わらぬ澄ました様子で杯を煽る金吾に対し、和仁助の方はと言えば些か進みが遅い。人だかりから投げかけられる野次に対しても応える余裕がないようで、手は震え目を白黒させている。限界が近いのは、誰の目から見ても一目瞭然だった。 「オイ和仁助! なァにへたってやがる! 負けちまうぞ!」 「う。うう、うるせえ、騒ぐんじゃねえ……!」 野次に尻を叩かれ決死の思いで飲み干した十杯目。しかし容赦なく次の杯が注がれ、和仁助は顔を蒼白させた。 ちらりと横目で狐の伊達男の様子を見やる。既に大杯の中の液体は底に溜まる程度しかない。酔いが回ってきたのか僅かに上気しているものの、瀕死の己と比べてまだ余裕は十二分にあるようだ。ほんのすぐ隣に居る筈なのに、断崖を挟んだような距離の差を感じるのは、己が薄々敗北を認め始めているからであろうか。 しかし、こんな細身に負ける訳にはいかない。意地と共に雑酒を流し込む。既に胃の縁まで酒気が満たしており、腹が鉛を喰ったように重く、苦しくて堪らなかった。ふとした瞬間に逆流し、危うく吐き散らしてしまいそうになるのを両手で抑え込む。 「もうその程度で止めておいた方が良い。身体に障るぞ」 金吾の諌めるような発言は本心のようでもあり挑発のようでもあった。和仁助は歯噛みするが、正しくその通りであると思った。 既に心臓は早鐘を打ち続け、視界は黒ずみ始めている。水面に顔を付けているかのように息が苦しく、音が散漫にしか聞こえない。しかし、負けたくない。こんな清流だけを呑んで生きてきたような伊達男に泥を塗られるなど、和仁助にとって最大の屈辱であった。「う、ぐぐ……ぐう……」 しかし、杯を持つ手は上がらない。重いのではなく、力が入らない。 耳の傍で大鐘を鳴らされているかのように耳鳴りが酷く、意識は次第に潰えていき―― 「ああ、ちくしょうめ……」 ぐらり、と和仁助の巨体が揺れ、ずうんと重く地面に倒れ込んだ。 手に持っていた杯が転げ落ち、白目を剥いて気絶している和仁助の顔元に寄り添うようにして止まる。 しん、と一瞬の静寂の後、沸き立つように歓声が上がる。あの和仁助を下したという大番狂わせに、賭狂い共が熱狂しない訳がない。 どうやらどちらが勝つかで賭け事を行われていたらしく、極僅か金吾の方に掛けた酔狂な連中が思わぬ配当に狂喜乱舞している始末だった。余りにも強かな連中だと、金吾は背で聞きながら呆れたように眉を顰める。 「さて、これで教えて貰えるな」 僅かにしたり顔の雰囲気を見せる金吾に、鮫獣人は観念したように溜息を吐いた。しかし博徒としての意地があるのか、うやむやにするような素振りは見せない。 「……『夕鴉』って宿場に、好みの男娼が居るらしい。お忍びで来るって噂だ」 「何時頃だ」 「亥の刻頃が多いと聞く」 「そうか。……御馳走さん、悪くない酒だった」 金吾は席を立ち、酒代を置くも突っ返される。厄介者だと認定されたのか、しっしと手払いをされる始末だ。 未だ狂喜乱舞する群衆をすり抜け去ろうとする金吾は、ふと何か思い立った様子で振り返ると、未だこちらを睨み付ける鮫獣人へと声を掛けた。 「すまん、もう一つ聞きたいことがあるんだが」 「……何だよ」 金吾は不意にぶるりと身を震わせ、周囲をはばかるように声を潜めた。 「この辺りで、一番近い厠の場所を教えて欲しいんだが……」 いくら金吾が酒に強い体質だと言っても、飲めば出したくなるのはこの世の道理である。十杯分以上の酒が入ったことで腹は豚の腹のように膨れ上がり、酒の強い利尿作用によってそれらが膀胱に降りてくるまでにさほどの時間は要しない。褌一丁という暖かさとは無縁の格好であることも、寒さからくる尿意の増幅に拍車をかけていた。 平たく言えば、金吾は今、膨れ上がる強烈な尿意に必死に耐えていた。顔は平静を保っているものの、全身冷や汗塗れである。 鮫獣人に教えられた厠の場所はさほど遠くではないのだが、酔いが回ってきたのか覚束ない足取りでは長い旅路だった。誰か取り締まる者がいるでもなし、いっそ近くの草薮ででも立小便に興じればよいというのは重々承知なのだが、どうにも人気に絶えない場所で済ますのは心持が悪く、そも金吾の嫌というほど清廉潔白を重んじる性格にとって、立小便という軽犯罪はご法度なのだった。 波が来る度に立ち止まり、歩いては立ち止まりを繰り返しながらも、金吾はどうにか公衆厠の前へと辿り着いた。丁字路の突き当たりに金吾の臍ぐらいの高さの衝立が置かれ、その奥にひとつだけ小便桶が置かれたものであり、至って簡易で粗末なものであった。目隠しの分、立小便より幾らかましと言った所だろうか。 往来は多いが、幸いにして他の利用者はいない。金吾は安堵の息を吐く。膀胱はもう破裂寸前の満水で、一刻も早い解放を求めて腹部を内側から圧迫していた。順番待ちを強いられていたならば、危うく漏らしてしまうところであった。 波のような往来を、縫うように足早に抜ける。衝立の裏に回ると、いっそう饐えた臭気が鼻を焼いた。掃除の手も碌に入れられていないのだろうか、桶はひどく黒ずんでいる。 有様に顔を顰めながら、金吾はきつく締められた褌を捲る。平常時でも褌の布地に浮かび上がる程の巨根故に取り出すのに手間取り、焦りと尿意に身を捩る。小さな衝立を隔てた向こう側を流れる往来からいくつもの視線を感じ、どうにも居心地の悪さが強い。 早く済ませてしまおう、とそそくさ竿先を桶に向ければ、力を入れるまでもなく腹の内からじわりと温いものが込み上がり、尿道を駆け抜けていき、やがて鈴口から濃い金色の奔流が噴出した。 「ん、っ……」 穴が開くほどの勢いで放たれた金色の水流。空っぽの木桶の底面に突き刺さり、たぱたぱと軽い音を立て始めた。もうもうと白い湯気が上がる。 間に合った、という安堵感に加え、限界寸前から放たれた小便特有の性的とも言える心地よさが身を満たす。顔面は平静を装いながらも、金吾はうっとりとした快感に包まれていた。 小便が桶に溜まり、やがて立てる音が水に水の突き刺さるじょぼじょぼといった音に変化していく。放尿線も僅かに勢いを弱めていたが、酒をたらふく蓄えていた為かまだまだ止む気配はない。 「狐の兄やん、ちょいと」 垂れ流される小便をじいと見つめていた金吾だったが、不意に背中から呼び止めるような少年声が聞こえて我に返る。振り向けば、赤い越中褌一丁の蒼兎の少年が、股間を握り締めて前かがみになり、とんとんと忙しなく足踏みをしていた。 その顔立ちは幼さと大人びた雰囲気とが入り混じったようなもので、美丈夫ではないがどことなく愛嬌がある。背丈は金吾の腰ほどしかなく、矢張り年端もいかない子供であるように見受けられた。何故このような賭場に子供が居るのだろう、と金吾は脳裏に疑問符を浮かべていると、兎の少年は顔を赤らめてううと呻いた。 「兄やん、すまねえがご一緒させてくれねえか。嗚呼、お、おいらもう……漏っちゃいそうで……」 兎の少年はぎゅっと股間を握り締めて、かたかたと身を震わせた。いかにも小便を我慢しきっているという素振りである。金吾は仕方なく、立ち位置を僅かにずらした。 「構わない」 「すまねえ、助かる……!」 兎の少年は桶に駆け寄ると、赤の越中褌をずらし、中からぷるんと若芽のように可愛らしい大きさの竿を取り出した。すっぽりと皮が被り、僅かに覗く亀頭は性の楽しみを知らない健康的な薄桃色をしている。 「ふぃぃ……間一髪だぜ……」 ぱちゃぱちゃと可愛げな水音が隣から響く。金吾ほどではないが勢いが強く、相当切羽詰まっていたのだろうことが分かる。 「いやあ、聞いておくれよ狐の兄やん。賭場の連中たらひどいんだぜ、おいらがちょいと馬鹿勝ちしただけでいかさま扱いさ。縄でかんかんにふん縛られちまって、見てくれよこの縄の跡」 放尿中の小さな竿先を支える腕をふいと持ち上げて、青兎の少年は二の腕を強調する。見てみれば、成程確かに薄い蒼毛の上からも分かるほどにはっきりと、縄で縛られたような跡が見えた。 「災難だったな」 金吾はこんな年端もいかないような少年が賭け事に興じている、という事実に若干の眩暈を覚えたが、この場所では賭け事に興じていない自分の方が異分子である。普段のように厳しい追及は抑え、適当な相槌を打った。 少年は金吾の適当な相槌に気分を良くしたのか、ウンウンと頷いた。横顔は得意げに、悪戯めいた笑みを浮かべる。 「おうとも。暫く大人しく軒先に吊られてたんだが、ちょいと催してきちまってね。便所に行かせろっつっても奴ら我慢しろの一点張りでよお、ありゃ人の皮を被った妖怪だね」 放尿の心地よさに高揚しているのか、少年の舌先はやたらに回る。大分酔っぱらっているのか、口端からは僅かな酒気が漏れだしていた。二人の放尿はまだ続く。 「どうにもこうにも辛抱堪んなくなってきた。とはいえ縄はびくともしねえ。ああこりゃいよいよ年貢の納め時か、替えの褌あったかねえと思い始めてきたその矢先! 天から小汚え蜘蛛の糸が垂らされたって訳よ」 「蜘蛛の糸?」 「おうよ。あんさんみたいな美丈夫とは真逆も真逆、脂ぎって小汚い狸おやじさ。確か、名前は……そうそう、銀平だったか」 金吾にとって、嫌というほど聞き覚えのある名前だった。どうにもこうにも世界が狭い、金吾は深くため息を吐き、ようやく小便が止まった竿をぶるぶると振って雫を飛ばす。 「ん? なんで溜息吐くんだい」 「知り合いだ。腐れ縁というか、なんというか」 残尿が沁みないように何度か雫を振り飛ばしてから、金吾は褌の中に竿を収めた。ご立派さまだねえ、という兎の少年のヤジを鋭い眼光で切り捨てて、少年に話の続きを促す。 「銀平サンがこういう訳よ。「おいらが勝ったらそこの坊主を解放してやんな」ってね。いやあ痺れちゃうね、あやうくションベン漏らすとこだった」 「漏らさなくてよかったな」 「うはは、まったくだ」 少年も小便が止み、皮をなんどかすぼめて雫を振り払ったのちに褌に収める。 「で、その銀平という男は今どこに」 「ああ、もういねえぜ。なんせもう金松さまだからな」 「なんだと?」 金松さま。この福耳島での博徒は三つの階級に区分され、上から順に金松、銀竹、銅梅となる。金吾と一緒にこの島に立ち入った時はまだ銀竹の階級だった筈なのに、それから一刻二刻もしないうちに昇格してしまったということである。 「まあ、銀平サンは前々から噂だったからな。金松に最も近い男だって。あんまりに方々の賭場を潰して回るもんだから、店側からしちゃもう災害みたいな扱いになってるんだぜ」 「……」 この福耳島は違法も違法、仁義に篤い賭場荒らしさまの血が騒ぐということなのだろうか。まさしく水を得た魚のように賽子を振り回す銀平の姿を想像し、頭痛が少しばかりひどくなる。もう少しまっとうに生きてくれないものだろうか。 「で、その銀平サンからあんたに伝言さ。『おいらはこっちで探るから、金ちゃんはそっちで水遊びでもしてな』ってさ」 「俺に?」 なんとも癪に障る伝言だが、それよりも気にかかることがあった。何故眼前のこの少年は自分のことを知っているのか。 「おうよ。あんさん金吾だろ? 銀平サンが教えてくれたのさ、顔の整った狐の大男で、あととんでもねえ巨根だって」 少年の視線が、納得したように金吾のせり上がった股間を捉えた。 「成程、納得って訳だ。いやはやご立派さまご立派さま……あいてっ」 揶揄い交じりで掌を合わせ、金吾の膨らみに向けて拝もうとする少年の頭を小突く。まさか人相の特徴に陰茎の大きさを挙げられるなどと、果たしてどういう顔をすればいいのやら。 「ま、兎に角だ。用も足したしおいらは行くぜ。おいら銀鉤(ぎんこ)ってんだ、ご縁がありゃまたどっかで」 「ああ、言伝感謝する」 青兎の少年はひひと笑いを残し、軽々とした足取りで通りの人混みの中へと消えていった。 なんとも飄々とした、つかみどころのない少年である。結局、まだ成人にも満たないだろう彼がなぜこんな淀んだ場所に居るのかを聞きそびれてしまったことに気付き、金吾はやれやれと首を振った。 しかしまあ、そんなことはどうでもいい。重要なのは銀平の言伝の内容である。曰く「おいらはこっちで探るから、金ちゃんは水遊びでもしてな」との事だが、これはつまるところ、お前の出る幕じゃないからすっこんでろという意味だ。 「舐められたものだな」 賭場という慣れない泥沼に片足を突っ込んだ清廉潔白男に対しての気遣いだろうか。否、銀平がそのように気を利かせるはずもない。恐らくは金吾のことを舐め腐っていて、加えて金松の遊び場で羽を伸ばしたいという魂胆でもあるのだろう。 「いいだろう」 深く息を吸って、吐く。調子に乗った銀平の頬面を一発張り倒してやろう、と思い、金吾は気合を入れ直した。 まずは胴元がお忍びで遊びに来るという、宿場『夕鴉』へ。うまく中に潜り込んで、胴元に接近できれば、万事うまくいくはずだ。 続く