フィギュアの旅①
Added 2021-01-07 11:22:35 +0000 UTC「いい湯だね~」 「ね~」 私たちは池のように広い温泉に浸かりながら、旅の成功と病気の寛解を祝した。人形温泉と呼ばれるここの湯は、まるで人形のように肌が綺麗になるというのが宣伝文句で、うっすらとした肌色の湯は見た目からして人の肌と親和性が高そうだ。長く浸かっていると、ちょっとヌルつくような粘り気を感じ取れるようになってきた。まるで私たちの肌にピタリと張り付きながら全身をコーティングされているかのような錯覚さえ起こすほど、湯ざわりが心地よい。ここまで敏感に湯を堪能できるのは、私たちが縮んだせいもあるかもしれない。 体が縮む不思議な病気、縮小病。今のところ女性だけが発症している。私は不幸にも、その患者の一人になってしまった。隣にいる青葉さんもそうだ。同時期に罹患して、同じ病院で治療を受けた。治療と言っても、できることはほとんどない。収まるのを待つだけだ。私は160あった身長が30センチまで縮んだ。青葉さんも同様のスケールに。酷い人は十分の一、つまり15センチ前後まで縮んでしまうらしいのだが、私と青葉さんはその一歩手前で踏みとどまれた。 とはいえ、30センチなんてもはや小人か人形かってサイズで、とてもまともに仕事できる体じゃないし、一人で日常生活を送るのも辛い。私と青葉さんは同じ病気で同じサイズというのもあって、入院中に意気投合し、仲良くなった。同じ悩みを分かち合える相手がいるだけで、随分と心強くなれることを私は知った。退院後、私たちは二人だけでちょっとした旅に出ることにした。行き先は温泉。30センチの身一つ、手助けなし。これは私たちの社会復帰を賭けた挑戦でもある。歩いても歩いても、すぐそこだった場所につかないし、何度も蹴り飛ばされたり踏んづけられそうになったりヒヤリとする場面も多かったが、何とか無事に、私たちはここ人形温泉に辿り着くことに成功したのだ。 ここを選んだ理由は安かったのと、近かったからだが、来てみると全くここで正解だったと言わざるを得ない。私達がちょうど腰を下ろして浸かれる、とっても浅い一角があったのだ。溺れる心配なく浸かれる温泉は、旅の疲れも、周囲の視線に対するやりきれない思いも、全てを忘れさせてくれる。 長風呂から上がった私たちは、お土産コーナーで多くの物を買った。人形温泉というだけあって、着せ替え人形やままごとの道具を売っていて、その中には私たちのスケールに合う椅子とか食器とかがあったのだ。きっとこれからの生活に役立つはず。服もあったが、流石に見送った。見るからに人形用の服って感じで、普通の服に比べると作りは粗雑だし、ゴワゴワして着心地も何も無さそうだし、何より派手で少女趣味なデザインのものしかなかったからだ。私も青葉さんも二十半ば。流石にあんな格好はできない。ただでさえ、見世物みたいに視線を吸い寄せる身体になってしまっているのに。 「花咲さん、あれあれ」 青葉さんに連れられ、私は運動場みたいに広い通路を駆け抜け、後ろの棚に回った。彼女が指さしたのは入浴剤。人形温泉と同じ……そっくり同じではないだろうが、同じ湯ざわりと効能を楽しめるらしい。ちょっと粘性がある、ここの不思議なお湯に魅せられてしまっていた私たちは、早速それも買った。当然、持って帰れるわけはないので、全部郵送だ。 温泉宿で一夜を明かし、私たちは帰路についた。家に帰るまでが遠足とはよく言ったもので、やはり辛い、この体だと。バスに乗るにも一波乱だし、周囲からは常に注目の的になる。珍獣みたいに観察する人、明らかに気持ち悪がって不自然に視線を逸らす人、「可哀想にね~」等と言いながら世話を焼きたがる人。往来を歩く時はやはり、何度も危ない目に遭わされる。行きと同じだ。 普通なら大したことのない距離でも、今の私たちにとってはすごく長く感じる。いや実際長いのだ。入院生活で鈍っていたのも手伝い、最寄り駅に着くころには足が棒のようになっていた。いいや。あともうタクシーで帰ろ……。 「じゃ、また。困ったことがあったらまた連絡してね」 「お互い、頑張ろうね。ホントに」 青葉さんと別れ一人になると、次第に心が重くなっていった。温泉が忘れさせてくれていたことと向き合わなければならない。仕事はどうしよう。今回は幸い怪我無く行って帰ってこれたけど、何度も蹴り殺されてしまいそうな場面はあった。正直、今後通勤はおろか、買い物もできそうな気がしない。 (全部配達かなぁ……) パソコンやスマホの操作もかなり体力使うし、在宅仕事もそうそうこなせる気がしない。はぁ……どうすりゃいいのかな。温泉で買いすぎたかも。もっと節約しないと駄目だ。明日から気をつけよ……。 好転の兆しを見いだせない大変な生活。その中で唯一の癒しとなってくれたのが、人形温泉の入浴剤だった。上手くコントロールできず、毎回入れ過ぎてしまうんだけど、どうも私にはそれぐらいでちょうどいいらしい。うっすらとだけ透ける肌色の湯、体にまとわりついてくるような独特の湯心地は、流石に本物ほどではないにせよ、十分に満足できるものだった。あの温泉に浸かっていた時だけは、嫌なことを何もかも忘れていられた。同じ境遇の仲間がいて、この身体でもやっていけるんだっていう希望も持てていた。毎日入浴のたびに、私の心はあの日の高揚にトリップすることができたのだ。 異変に気付いたのは三か月ほど経ってから。その時には手遅れだった。遅れた理由は……中々手入れもできない自分の体を見るのが嫌で、無意識の間に鏡や窓に映る自分の姿を避けていたからかもしれない。或いは、落っこちないよう気を張り体力を使う重労働になったトイレになるべく行きたくないという心理的な抵抗があり、それが叶えられていたからか……。全部かもしれない。 私の体はいつの間にか、その様相を一変させていた。肌はテカりのある光沢を持ち、人形のようにツルツルだ。皴や染みもなく、血管も見えない。フィギュアを構成する樹脂のような硬い質感。でも違和感なく今まで通りに動かせる。だからわからなかったのだ。そして顔。まるでアニメキャラのようにデフォルメが効いていて、目は大きいし、作りが非常に単純になっている。口の中も奥がない。今までどうやって食べ……食べ……てない。ここ二週間ぐらい食事をした記憶がない。その前は……? あぁ、なんか最近お腹があまり空かないなぁという自覚はあった。それで徐々に食事をとる回数が減ったんだっけ……。外に出ないし、縮んだのでその分低コストになったんだろうと都合よく思い込んでいた。食べなくても生きていられるなんてありえないはずなのに。げに思い込みというのは恐ろしい。 おかしいのは髪も。フィギュアの髪みたいに、一つの塊に切れ込みや段差をつけて髪を表現している。そういう状態になってしまっている。でも、手で触ってみると以前と同様、サラリと別れる。だからこれにも気づけなかった。乳首がなくなり、肌色一色の曲面になっていることも、股間がマネキンのように何もない、ツルツルの面になってしまっていることにも……。最後にトイレに行ったのはいつだっけ。大分前の気がする……。 つまり何が言いたいのかというと、私の体は人形のように、それもフィギュアみたいに変化してしまったのだ。 (嘘……嘘、一体どうしてこんな……ありえない……) 縮小病の症状? いや、そんな話は聞いてない。調べたって出てこない……。 (そうだ、とにかく、病院に……) 「落とし物はこっちだよ~」 「違います! 私人間です! 花咲です! 縮小病の!」 病院に行った私はまるで相手にされなかった。看護師さんも待合室の人たちも、誰もが私を人形だと思い、真面目にとりあってくれない。人形が動いて喋るなんておかしいんだから人間だとわかるでしょ、と思っていたんだけど、甘かった。実際にそういう人形、動いてお話のできるAIフィギュアが既に販売されていたのだ。発症してから全然世の中の情勢を追えていなかったから知らなかった。待合室のソファに鎮座するフィギュア。樹脂みたいな質感を持っている「彼女」はコメディ映画でも見ているかのように笑いながら、私を見つめていた。その身長、等身はちょうど私と同じぐらい。あぁ……なるほど、相手にしてくれないわけだ……。 「いやっ、でも、調べてください、そうしたら……」 「あーもう。いい加減にしなさい。持ち主の方は誰ですか!? こういう悪戯は……」 食い下がった私はとうとう病院側を怒らせてしまい、診察どころではなくなった。周囲の視線は冷ややかで、明らかに私を嘲笑していた。不謹慎で笑えない悪戯を仕掛ける奴がいたもんだ、と……。笑っているのはAIフィギュアだけ。いたたまれなくなった私は、涙を必死に堪えつつ、病院から逃げるようにして立ち去った。 誰も信じてくれない。どうしたらいいだろう。飲まず食わず、トイレに行かなくても死なないどころか、体調が悪くすらならない。今の自分が怖い。本当に人形になってしまったとでもいうのだろうか。でも、一体何がどうなって……。そうだお風呂。お風呂で一旦落ち着こう。 いつものように入浴剤をぶち込み、洗面器に張ったお湯が肌色に濁った瞬間。直感が囁いた。これじゃない? と。まるで人を溶かし込んだかのような色の液体……。あの体にまとわりついてくるかのような粘性……。人形のように肌が綺麗になるのがあの温泉の文句だったっけ……。 いやでも、そんなことがありえるだろうか。入浴剤で体が人形に変異するなんて。ありえ……いやでも、今の自分の体がまるで生きたフィギュアのようになってしまっていることだけは事実なのだ。まるで樹脂のような質感のこの身体。 (……あっ、そうだ!) 少なくとも、原因がこれかどうかだけはハッキリさせられる。青葉さん……! 私と一緒に温泉へ行き、同じ入浴剤を買った彼女なら……! 例え同じ症状が出ていなくっても、彼女ならきっと私の訴えをわかってくれる。AIフィギュアを使った悪戯じゃないと理解してくれるはずだ。 そう思った私は、すぐ彼女に連絡をとった。 電車の中は酷く居心地が悪かった。周囲の人たちは明らかに私たちを誰かのAIフィギュアだと思っているだろうことが、態度からありありと伝わってくる。三か月前の温泉旅行の時も無言で色々な反応をされたけど、今回のそれはその時とはまるで違う。生理的な嫌悪感や、露骨過ぎる配慮が一切ない。周りが普通すぎる。まるで誰かの鞄、路傍の石ころみたいな認識をされているのだろうか。見た目がフィギュアというだけで、こうも反応が変わるものか。嫌そうな顔や怖がる態度をされないのは助かるけど、それって人間だと思われてないってこととトレードオフなんだよね……複雑だ。 まあ仕方がない。当事者である私だって、隣の青葉さんを人間だとは思えない。写真を見た時は驚いた。ホントに、ただのフィギュアにしか見えなかったのだ。私と同様、フィギュアボディになってしまった青葉さんは、デフォルメされた顔に綺麗すぎる樹脂っぽい肌で、言われてもなお人間だと納得するのは難しい。向こうからすれば私もそうだろう。 あれから、互いに同じ状態であることを知った私たちは、一緒に温泉側に抗議しに行くことにしたのだ。体がフィギュア化してしまった縮小病の人は私と青葉さんだけ。ということは、あの入浴剤ないしは温泉が原因に違いない。私たちが小さいせいで、人形のように綺麗にする効能が効きすぎたのかもしれない。未だに信じられないけどね。 温泉の人はきっと何か知っているはず。元に戻す方法……はあまり期待できないけど、自分たちが原因だということを認めさせなくっちゃ。このままじゃ流石に生活に困るってレベルじゃないし。 「でもわかってくれるかなぁ。私達が人間だって」 「しょうがないでしょ。あの温泉が原因なのは間違いないんだから。そこをハッキリさせなくちゃ。絶対訴えてやるんだから」 青葉さんはやる気だ。あぁー……。向こうが認めなかったらどうなるんだろ。裁判? やり方なんて知らないよ。お金かかるのかな……。ただでさえ貯金が減っていくだけの生活してるのに……。 その時だった。 「きゃあっ!?」「んあっ!?」 濃いオレンジ色の液体が頭上から洪水のように降り注ぎ、私たちは全身ずぶぬれ、そしてベトベト。 「くさっ!」 そして強烈な刺激。これ……は……。 「あっ、あーっ、ごめんなさーい!」 ずっと隣に座っていた女の子が叫んだ。突然の事態に困惑しながら見上げると、握りつぶされたジュースのパックが浮かんでいる。それを支えているのは小さな子供の大きな手。私たちはジュースをこぼされてしまったらしい……。 「うぇーっ、ちょ、ちょっとコレ……」 青葉さんは怒っていた。が、小さい子供に怒鳴るわけにもいかず、苦虫を噛み潰したような表情で天を仰いでいた。私も同じ気持ち。だってどうするのよこれ、本当に……。今から大事な話をしに乗り込んでいくところだったのに。全身ジュースまみれ。滅茶苦茶ベタベタするし、超臭い……。ジュースってこんなに臭かった? 私たちが縮んだから……? 「あらあら、まあ大変」 ボックス席の向かいに座っていたおばちゃんが乗り出し、私たちを掴んだ。 「あっ、ちょっ……」 「この子たちはおばさんが洗ってきてあげる。お嬢ちゃん、お席拭ける?」 「あっちょっ、下ろしてください、いきなり……」 おばちゃんは私たちには許可をとらず、女の子の方に許可をとってから歩き出した。私たちは高い空中を運ばれる羽目になり、怖くて抗議もできなかった。落ちたら大怪我だよ。 車内のお手洗いに連れていかれた私たちは、そこで服を脱がされた。 「待ってください、ちょっとっ」 「いいからいいから」 普通の人にはちょっとの揺れも、私達には地震並み。それに巨大な成人の力に、今の私たちに抗う術はなかった。裸に剥かれた私たちは、そこで体を入念に水洗いされた。 「あぅっ、あぅ……」 一応、ありがたく……は、ある……けど、なにもこんな強引に……。私たちに確認してよ。 だが、服は返してくれなかった。タオルで体を拭かれた後、おばちゃんは裸の私たちを腕に抱きかかえた。 「えっ!? あ、あの、服」 「ダメよー。もうこれべっとべと。新しいの出してもらいましょうね」 私たちはようやく、自分たちがあの子の人形だと思われていることを悟った。 「まっ待ってください、違うんです、私たち人間なんです、やめてぇ、放してー! 服を着せてー!」 抵抗空しく、お節介焼きのおばちゃんは全裸の私たちを腕に抱きかかえたまま客席に戻った。 「あ、あ、あ、あああぁぁー……」 あああいやいや。うそ。最悪。そんな……。しかし今更時間は巻き戻せないし、服が飛んできてくれるわけでもない。私たちは真っ赤になって、胸と股間をできる限り隠そうと努力しながら、巨人の腕に揺られて見世物になるしかなかった。 (み、見ないで、見ないでぇ……) まさかまさか、電車の中で全裸にされるなんて。死にたい。今すぐ消え失せたい。願わくは、みんなが私たちをただのAIフィギュアだと思ってくれていますように……! 元の席に戻った私たちは、やはり全裸のまま席に置かれた。まだ湿ってはいるが、席は子供と、ボックス席にいたもう一人の大人が拭いてくれたらしい。 「ふっ服……返してください……」 消え入りそうな小声で、私たちはそう言うのがやっとだった。なんせ日中の電車内で全裸。私たちはほとんど動くこともできず、俯いていることしかできない。嫌だ嫌だ見ないで。これ以上注目を集めたくない。 「お洋服……」 おばちゃんから説明を受けた女の子は、しょんぼりしながら私たちを見下ろした。悪いことをしたと思っているのは伝わってくる。でもだからなんだって話。まさか全裸のまま温泉に行けと!? いや、これじゃ帰るのも無理だよぉ。ど、どうしよう……。 「予備の服ないの?」 同じボックス席のおじさんが女の子に確認した。するとおじさんが立ち上がり、網棚から大きな荷物を下ろし、中からデカい装置を取り出し、床に設置した。 「わー! クロスジェットだー!」 くろ……何? この子は知っているらしい。私は……わかんない。私たちは真っ赤になって縮こまるだけで、事の成り行きを見守っているしかなかった。 おじさんは蓋をあけ、私を掴んだ。 「なっ何するんですか、離してください」 私の震える小声は、誰にも聞き取ってもらえなかった。公共の場で全裸であるこの状況下が、私から気力を削いでいる。それに、自分の数倍の背丈をもつ巨人に掴まれて、本能的な恐怖を感じないのは難しい。 成す術なく、私は装置の大部分を占める、円柱状の透明な容器に入れられた。周囲にはノズルのようなものが壁のあちこちについている。あっ、足元にも。蓋が閉じられると、天井にもついていることがわかった。 「だ、出してください! 何なんですかコレ! 訴えますよ! 私人間なんです! AIフィギュアじゃありません!」 周囲からの視線が遮断されたことで、さっきよりは強く声を張り上げることができたが、装置の外には届かなかったようだ。いや無視された? どっちでも運命は変わらない。無数のノズルから突如、シャーっと霧のようなものが吹きだしたのだ。 「ひゃっ!?」 霧はピンク、白、黄色……色とりどりのカラフルな液体。それが私の全身に吹き付けられ、くっついていく。落ちない。まるで私の全身をコーティングするかのように、私の肌を染めていく。腕にできた白い斑点が徐々に広がり、別の斑点とくっつき、さらに広がる。 (なに、なにこれ!?) 全身がカラフルな霧によって覆われていく。足も、顔も、何もかも……。 私の全身を覆いつくしたソレは、次第に外へ向かって伸びていく。腰のあたりから外へ円形、いや扇? そして胸元に飛びだす謎の盛り上がり……。 (あっ、これ……服?) やっとわかった。これは服を作る装置なんだ。私の知らない間にそんな便利なものが。私は少し安心した。が、次第に服の全容が明らかになるにつれ、別の恐怖で肝が冷え始める。 (ちょっ……ちょっ、待って待って、何これ、なんでこれ!? よりによって……コレ!?) 肘まで覆う真っ白な手袋は、手の甲にハートの装飾が施されている。真っ白に染まった両脚を覆う長いブーツも同様。体を覆うピンクのドレスは花びらを模した数段重ねのスカートを広げ、胸元と腰には現実ではまず見ない大きさのリボンがくっついている。そして、幾分か重くなった頭。恐る恐る触れてみると、滅茶苦茶髪が伸びている。腰までありそうな長いポニーテール。しかも……どうやらピンクの霧が私の髪の毛を染めつくしてしまったらしい。淡いピンク色の大ボリュームの髪。 (これ……これって……!) 間違いない。何かのアニメキャラ……それも魔法少女モノだ! 私は魔法少女のコスプレをさせられているのだ! 裸よりはマシ……いやわからない。日中の電車の中で、いい歳こいてこんな格好させられるなんて……。だが狭い容器の中に逃げ場はない。どうすることもできず、私は派手な魔法少女フィギュアとして再形成されてしまったのだ。 全ての作業が完了したあと、蓋が開き、巨大な手が私をつまんだ。ああ……出される。この格好で、車内に……やだぁ……。 「わーっ、可愛いーっ」 おじさんは女の子に褒められ得意気だ。が、私は心中穏やかではない。裸の時に負けず劣らず顔を染め、俯いていることしかできなかった。青葉さんは目を見開いて茫然と私を見つめている。 「はい、次ね~」 「……!? あっ、ちょっ、待って、私……」 おじさんは青葉さんをつまみ上げ、装置の中に入れてしまった。ああ……青葉さんも犠牲に。でも私にはどうしようもない。頑張って青葉さん……。私は目を背けるように、電車の窓に映る自分の姿を見た。 (!?) 大きな瞳がピンク色に染まっている。え? 嘘、なんで? これも……服!? でも、視界は今まで通り良好だ。何も変わっていない。あああもう。何が何だか。一体全体、私達の体はどうしてしまったの!? しばらくすると、大変身を遂げた青葉さんが姿を現した。私と同じ……色違いみたいな、水色の魔法少女に姿を変えられている。ウェーブのかかった超ロングの髪が広がっている。水色に染まった瞳と対照的に、その顔は熟れたリンゴのように赤い。 「あ……ぁ……」「うぅ……」 あまりのことに言葉もでない。抗議……抗議したいが、周りの注目を集めたくない。それに、人間だとわかってもらえたらもらえたで、日中から電車の中でフリフリの魔法少女コスプレをしている痛い成人女性に早変わりだ。その時の周囲の反応は想像したくもない。 それでも……それでも言わなくちゃ。こんな恥ずかしい服じゃなく、やり直ししてくださいって……。 「よかったね、お人形さーん」 女の子は顔を輝かせて私たちを見下ろしている。おばさんも「あら可愛い~」といって囃し立てる。それが私たちから益々気力と機会を奪い続けた。 モジモジしている間に電車が止まり、おじさんとおばさんが立ち上がった。 「それじゃあね、お嬢ちゃん」 「うんっ、ありがとー!」 女の子が手を振り、二人が去っていく。 「あっ、ま、待ってください。やり直し……服返して……」 しかし、降りる客乗る客、巨人たちが忙しなく行き交う道に下りることもできず、私たちは魔法少女コスプレイヤーに変えられたまま、電車は発進してしまった。 「あ……」 もうどうしようもない。私たちはどこかで着替えるまでずっとこのままだ。でも着替えなんてない……どうしよう。今から帰る……? でも帰り道はずっとこの格好? どっちでも最悪。 女の子は嬉しそうに私の頭を撫でた。子供に子ども扱いされている……。でも、「私たちは人間なの」と言い出すことは、怖くてできなかった。今の私たちはAIフィギュアだと思われているから、真昼間の電車内でこんなイカレた格好していても許されている。でももしそれを言えば、私たちは一転して痛いコスプレ女に成り下がる……。 青葉さんも何も言わなかったが、思う所は同じらしい。私たちは甘んじてお人形扱いを受け入れるしかなかった。 そして次の駅で女の子も下りた。 「じゃーねー、お人形さーん」 「……」 (元はと言えば、あなたがジュースをこぼさなければ……) しかし、今更そんなことを言ってもしょうがない。私たちは黙って彼女を見送ることしかできなかった。 車内もまばらになったころ、私と青葉さんはこれからどうするか相談した。このまま温泉へ行くのか、それとも帰るのか……。 「こ、こんな格好で行くの? 笑い者じゃん」 「だ、だよね……でも」 すでに旅の行程をほとんど終えている。温泉の方が近い。今からUターンするのは怠いし、長時間この格好のまま往来を練り歩くことになってしまう。 「あっ、そうだ。あそこ、人形の服売ってたよね」 温泉旅館だけじゃない。駅とかにも結構あった記憶がある。人形温泉の最寄り駅。そこで着替えを買ってから温泉に乗り込むのはどうだろう。人形用の服でも、流石にこのキラッキラな魔法少女衣装よりは随分とマシなやつがあるはずだ。 「あ……そうね。よし。それで行きましょう」 青葉さんも、やはりここまで来て引き返すのは嫌だったらしい。ただでさえ遠出が大変だもんね、この身体じゃ。 駅構内を魔法少女、それも多分女児向けのコスプレをして練り歩くのは相当に精神を削られた。メッチャ注目されるし、撮影してる人もいるし……。けど注意なんてできなかった。一刻も早くコスプレ姿から解き放たれたい。 幸い、売店の人に恵まれた私たちは都合よくAIフィギュア用の服を買うことができた。 「どこで着替える?」 「トイレ?」 「えっ、でも……」 この駅のトイレは正直、あまり清潔でもない。特に縮んでいる私たちには匂いもきついし……。かといって他に人目のつかない空間も……。あまり長距離の移動はできないし。荷物がデカい重い。 恐ろしく大きな荷物にヘトヘトになりながら歩き回った結果、人のこない奥の階段を見つけた。人の喧噪が随分と遠くから聞こえる。陰になってて見えないし、ここなら。 だが、長い派手な手袋を脱ごうとしても、引っ張れなかった。 (んっ?) いくら引っ張っても一ミリも伸びない、動かない。というか……え? 脱げない。全く。肌と手袋が隙間なくピッチリと密着していて、隙間がない、生まれない。まるでボディペイントでもあるかのように、皴一つなく綺麗にフィットしたまま、脱ぐとっかかりすらない。 (えっ、うそ……) ブーツも、ストッキングも同じ。脚に完璧にくっついていて一切動かせない。ドレスも。ファスナーもボタンも、何もない上、やはり服と体が一体化していて、一分の隙間もない。いくら引っ張っても肌ごと引っ張られるだけ。どうしようもない。 青葉さんに助けを求めようと思ったが、向こうも同じだったらしく、困惑しながらこっちを見ている。そのあと互いに互いの服を脱がそうと悪戦苦闘したが、どうにもならなかった。ポニーテールを形作る大きなリボンですら、一ミリも動かない。魔法少女衣装は全て、私達の体と融合してしまっているかのように、ひと時も離れようとしない。 「ど、どうしよう。脱げないよ……」 「何で、ちょっと、やだぁ……」 サイズがキツイとか、そういう問題じゃない。いくら体を曲げても、皮膚と服の隙間はできない。のに、体はつっぱることなく、普通に動く。まるで私たちの皮膚と衣装がすっかり溶け合っているかのようだ。 「え? え? これ、大丈夫? まさか、まさか……もう一生脱げないなんてこと」 「そ、そんなことあるわけないでしょ!」 青葉さんの大声に、私はそれ以上何も言えなくなった。そ、そうだよね、流石に……。まさか一生、こんな派手な魔法少女のコスプレをしたままだなんてこと、あるわけ……ない。 「どうしたの?」 突然、頭上から男性の声が響き、私たちは思わず悲鳴を上げてのけぞった。大きな人影が私たちを覆いつくしている。大学生ぐらいの若い男性。 「落とし物?」 一瞬、何を訊いているのかわからなかった。そしてすぐ、私たちを誰かが失くしたAIフィギュアだと思っているのだと気づく。私も段々察しが早くなってきた。なりたくもなかったけど。 「いえっ、あのっ、ええとですね……」 家から離れた地で、見知らぬ男の巨人に見下ろされている。恐ろしいアウェー感に気圧されながら、私たちは懸命に事情を説明した。 「じゃあ、夜にね」 「ありがとうございます……」 奇跡的に信じてもらえた私たちは、彼に車で温泉まで送ってもらった。ある条件と引き換えに。嫌な条件だけど、仕方がない。また車内で教えてもらったけど、私達のこの服はナノ繊維を浴びせてフィギュアの服を作るもので、特殊な溶剤を使わない限り脱げないだろう、ということもわかった。最悪だ。溶剤とやらが体に悪影響がないことを祈るばかり。 「じゃ……行くよ?」 「……うん」 駐車場の端から温泉旅館の入り口まで、普通ならなんてことない距離も私たちにとっては結構な距離。それに、行き交う人たちの視線が刺さりに刺さる。いい歳して女児向けアニメのコスプレをして温泉に乗り込む成人女性二人なんて、全く非常識というより他にない。けど脱げないんだから仕方がない。胸元や腰のリボンが大きいせいで、上から羽織ることすらできなかったんだから。 「えっ、なになに、どした?」「うふふっ、可愛らしいお客さんがお見えになって」「あらあらまあ」「いま娘がもうハマっちゃって……」 笑い声と歓談、その裏に潜む嘲笑が玄関を支配している。 「あの……ですから、私たち……人間で、人間なんです。多分……たぶん……ここの入浴剤で……」 結果から言うと、私たちはまるで相手にされなかった。いや、見世物としては十二分に相手にされた。誰一人として私たちの話を信じる人はいない。事前に電話で一通りは話していたし、今日伺うことも伝えていた。でも、やっぱり人間がフィギュアに変わってしまうなんて、到底信じてもらえる話ではなかったのだ。生きた証拠である私たちを目の当たりにしても、なお。 いや、私たちを見たからこそ、嘘だと断じたのかもしれない。樹脂みたいな質感を持つ肌、衣装。デフォルメされたアニメみたいな顔。そして何より、このフリッフリの魔法少女コスチューム……。これで真面目に話を聞けというのが、土台無理な話だったのだ。私たち自身、自らのこの格好のせいで強気にでられず、真っ赤になって俯きながら、次第に声をか細くしていった。 従業員たちは誰一人として私たちの話をもう聞いてない。可愛らしいAIフィギュア二人組に対し、子犬か何かみたいな扱い。彼女らがかわいい、と言うたびに、私の自尊心が傷つけられていく。頭の中がグチャグチャだ。次第に、どうして自分がこんなところにいるのかもわからなくなっていく。 馬鹿だ。何やってるんだ私は。こんな格好で人前に……。真面目で深刻な話をすべき場で、女児向けアニメのコスプレなんて。あっいや、それは……あの子がジュースをこぼして、それで……。違う。私じゃない。私が好きでこんな……こんな……。 「か、帰ろっ!」 青葉さんは涙をボロボロとこぼしながら、私の手を掴んだ。私は彼女に導かれるがまま、旅館を後にした。いつまでも背中から笑い声が響くような気がした。 「はぁ……この後どうする?」 「どうって……」 旅館の前の道路に座り込み、私たちは途方に暮れた。今から帰るには時間が足りない……。ていうか、こんな格好でまた電車に乗りたくない。嫌だ。今こうして道行く人たちにジロジロ見られているこの状況からも早く脱したい。でも、行く当てがない……。私たちはこの服を脱ぐことも、上から何かで隠すことすらできないのだ。腰まで伸びるピンク色のポニーテールなんて、どうやって隠せばいいのやら。縛っていない青葉さんはさらに大変そうだ。 背負った袋からスマホを取り出し、私たちはあの青年に連絡をとった。すぐに迎えに来て欲しい。このまま捨てられたAIフィギュアとして写真や動画を撮られ続けるのはまっぴらごめんだ。今日だけで一生分の恥をかき終えた気がするけど、その悪夢はまだ続く。でも、往来で不特定多数に弄られるよりはマシだろう……。あの青年とかわした約束。旅館まで送迎してもらう代わりに今夜一晩、彼のフィギュアにならなければいけないのだ。 「いやーよかった、助かったわー」 青年の家に回収された私たちは、そこでしばらくフィギュアのフリをする羽目になった。この人はプリガー……今私たちがしている女児向けアニメキャラの限定フィギュアを手に入れたと友人に自慢してしまったらしいのだが、実はそれは見栄だったという……。友人が訪ねてくる今夜だけ、その代役をしてほしいというのだ。嫌だけどしょうがない。送迎してもらったし、何より私たちの話を信じてくれたのは現状彼一人なのだ。友好的に接すれば、温泉や病院側を説得する際、力になってくれるかもしれない。 「ほらほら、これ」 写真には、なるほど「私たち」が映っていた。30センチ程のよく出来たフィギュア。キラキラのピンクの瞳、長く波打つポニテ、派手な魔法少女ドレス。私だ。質感もスケールも瓜二つ。青葉さんも同じ。バレないだろう。……悔しいけど。 ただ一つ問題があるとすれば、これはAIフィギュアではない点。つまり、ポーズ固定の飾るだけのフィギュアなのだ。私たちはずっとパントマイマーのごとく、同じ姿勢を取り続けなければならないことになる。それはきつそう……。 「大丈夫、大学で使ったこういうヤツがあるんだ」 青年が取り出したのはスプレー缶。 「なんですか、それ?」 「形状記憶スプレーっていうんだ。柔らかいものに形を記憶させられるんだよ」 彼は新聞紙を床に敷き、手本として汚れたタオルにスプレーしてみせた。5分ほど経ったのち、彼がタオルをグネグネと折り曲げ、再度床に置いた。すると驚くべきことに、タオルは瞬時に元の……つまり、スプレーを受けた際の形に戻ったのだ。まるで伸ばした輪ゴムが元に戻るかのように。 「これなら、楽に姿勢を維持できると思う」 「……ええと、それ、人にかけても大丈夫なやつなんですか?」 「へーきだよ、俺もおふざけで友達に吹っ掛けたことあるし」 それはへーきの根拠になるの? しかし討論しても始まらない。まあ最悪でも、今の私たちはナノ繊維とかいうヤツで全身コーティングされているんだから、身体本体にはスプレー届かないはずだしね。 新聞紙の上に立った私達に、青年が指示した。 「それじゃ、ポーズをとって」 「えっ!? ……ああ」 そっか、限定フィギュアに化けるということは、限定フィギュアと同じポーズをとらないといけない。うん。 (で、でも……恥ずかしいなあ……) 見知って間もない男性の前で、コスプレしたうえでポージングまで決めないといけないなんて。写真のフィギュアが元気一杯の溌剌とした笑顔で可愛らしいポーズを決めている。……二十半ばでこれはちょっと。でも仕方がない。 私たちは写真を見ながら、おずおずと同じポーズをとった。私は両手でハートマークを、青葉さんはピースサインを作って顔にあてる。 「あーほら、ちょっと、もっと顔上げて。脚伸ばして」 恥じらいが勝り、どうしてもポーズが縮こまってしまう。彼を満足させる姿勢をとれるまでしばらくかかった。 「うん、オッケ。じゃ、笑って笑って」 「えっ」 「あっダメ動かないで! ……ほら、笑顔でしょ、これ」 写真のフィギュアはすごい笑顔だ。じゃあ私たちもそうしないといけないのか。ただでさえ死ぬほど惨めなのに、笑わないといけないなんて……。 精一杯笑顔を浮かべても、彼からすればぎこちなく映るらしく、しまいには彼が私たちの脇に指を伸ばし、体をくすぐってきた。 「あっ、ちょっ、やめ、何するんっ、ですかっ、あ、あはははは!」 ひとしきり笑わせられた後、私たちは肩で息をしながら再度ポーズをとった。 「ひぃ……ふぅ……」 「いいよいいよ。それじゃかけるから! 動かないで!」 笑顔で媚びたポーズをとらされた私たちに、スプレーがかけられた。電車内でこの服をスプレープリントされたのを思い出してしまう。人生最悪の一日だ。 前から後ろから、丹念に何度も吹き付けられていく。さっきのタオルはサッとかけただけなのに。ここまでする必要ある? と思いつつ、笑顔を崩さないため、私は懸命に堪えた。 「よし! それじゃしばらくそのまま動かないで」 ああそうか。まだ頑張らないといけないのか。辛いなぁ。と思ったが、徐々に体が強ばり始めた。 (お?) 全身の筋肉が固まっていく。まるで、私達の体から複雑な機構が薄れて消えていくみたいだ。単一の樹脂の塊に、一つの石から彫りだした石像のように。少しずつ体が拘束されていく。気づけば、変に意識しなくても、指が震えなくなった。これなら思っていたより楽かもしれない。 あっという間に5分過ぎ、私たちは動いてよくなった。 「はい、多分記憶できたよ」 「うわ~」 私たちはゆっくりと体を動かした。多少つっぱるが、まあ結構普通に動かせる。だが、 「あっ」 ちょっとでも手足から力を抜くと、また元の姿勢に……笑顔でハートマークを作らされてしまう。いついかなる時も、体が常にこの姿勢に戻ろうとするのだ。私は青葉さんと顔を見合わせ、互いに笑顔で可愛くポーズしてる姿を見てちょっときまずくなった。 その時玄関から声がした。 「あっきた。じゃ、ポーズして待ってて」 「おおっ、すごい迫力……流石です」 「おっとストップ。そこライン。近づくな」 「もっと近くで見せてくださいよぉ」 「汚れる」 家を訪ねてきた太った青年は、新聞紙ゾーンに入ることを許可されず、少し距離をとって眺めるだけだった。ありがたい。けど、やっぱり恥ずかしい。ポーズと表情は意識しなくても維持できるから私たちにすることはない。ただここに突っ立っているだけでいい。でも、これじゃあノリノリでコスプレを楽しんでいるようにしか見えない。しかもこの太った子は、私たちをただのフィギュアだと思って鑑賞している。AIフィギュアですらない、意志を持たぬ樹脂の塊だと。それがちょっぴり悔しかった。 「まるで生きてるみたいな迫力……やはりプリガーはこの二人! 尊い!」 ちょっと動いてみせたらどんな顔をするだろう、と思ったがやめた。その瞬間、痛いレイヤーに早変わりだ。 鑑賞タイムは案外すぐ終わり、二人はゲームをやった後、夕飯を食べに部屋から出ていった。私たちは腕を伸ばし、その場に転がった。 「あ~、恥ずかしかったぁ……」 「も~、ホントやだね~」 などと口では言い合うものの、若い男二人から終始称賛の嵐を受けるのは、思っていたほど悪くはなかった……かもしれない。道行く人々の好奇の視線にさらされるよりは。 その日は青年の家に泊めてもらった。見た目完全にフィギュアな私たちに、特にそういう興味は湧かないらしく、極めて普通な夜だった。ただ一点、笑顔でポーズを決めたまま寝ないといけないこと以外は。なにせ体の力を抜くと、記憶された形状に戻されてしまう。タオルの上で横になった瞬間、ピン! と体が伸びてポージングしてしまう。 (コーティング落としてよ~) と思うが、酔って帰ってきた彼に体を洗ってもらうのは少し怖かったので、明日に回した。巨人と小人の間柄、その辺は人一倍気をつけなければならないのだ。 「それじゃあ、またね」 「うん、送ってくれてありがとう」 その日は一限がある、と朝早くに起きた青年は、寝ぼけ眼で私たちをお湯で洗い、タオルでゴシゴシ擦った。彼曰く、時間もたっていないしそれで形状記憶は落ちるらしいのだが、まだ体が突っ張るし、気を抜くとポーズとっちゃう。そのうち消えるとは言っていたけど、ホントに大丈夫だろうか。まあ帰ってから落とせばいいか。 駅で彼と別れた私たちは、帰りの切符を買うべく、窓口へ向かった。その時、荷物を忘れたことに気がついた。 「あっやば、スマホ! あの人の家だ!」 「待って待って、追いかけないと!」 しかし後の祭り。もう彼の車はどこにもなかった。ああ……最悪。形状記憶のことに意識が向いていて、荷物を忘れてしまったことに気づけなかった。今から取りに……でも歩いていくには距離が。しかしこのままじゃ帰れない。どうしよう。彼が気づいて届けてくれるまで……大学行ってるのか。遅くなりそう……。どうしよう。 「え、AIフィギュアのフリして改札素通りしちゃう?」 「い、いや、それは流石に……」 端っこで議論していると、幼い女の子が私たちを見つめているのに気づく。 「あっ、ねえねえ、プリガー?」 「えっ!? いや、ええと……」 ピシッと体がポーズをとった。満面の笑みを浮かべて。彼女はそれを肯定と受け取ったらしく、顔を輝かせた。 「あっいや待って、これはその、違くて」 すぐにポーズを解いたが、私達の事情を理解させるのはもう無理そうだった。「どこから来たの?」「なんでお人形だけでいるの?」と質問攻め。 思わず、「え、ええっと、帰れなくて困ってるんだ……」とマジな返答をしてしまう。しかしこれが功を奏し、彼女が私たちの近所に住んでいること、今から帰る所だということがわかった。 「ど、どうする?」 「どうって……頼むしかないんじゃない? もう」 私たちは、彼女に人形として町まで持っていってもらおう、と決めた。そうと決まれば、この子の両親に事情を話して……。その時、駅の反対側に人影が現れた。 「あっママー!」 「げっ!」 ところが、彼女がママと呼んだ女は、私の同僚だった。元の職場で一緒だった落葉さん。いつも嫌味を言ったりウザ絡みしてきたりで、正直折り合いのつかなかった人。 (嫌だ。知られたくない) あの女にだけは、今のこの……惨めすぎる姿を知られたくない。フィギュアの身体に変質し、プリガーのコスプレをして駅でヒッチハイクなどと、そんなことを知られたら私は……私は……。 青葉さんも絶望的な表情で私を見た。 「知り合い?」「後輩。大学の。花咲さんも?」「同僚」「うわ」 アイコンタクトで心が通じ合った。駄目だ。あの女にだけは、私達が私たちだってことを知られたくない。絶対に。 私は急いで女の子を呼び止め、言った。 「待って! 私たちのことは内緒! ただの……そう、動かないお人形ってことにして!」 「ふぇっ? どーして?」 ど、どうしって……何か、何か理由をでっちあげないと……。 「……ええと、そう! 秘密! 私たちは大人には秘密なの!」 「あ! わかった!」 青葉さんの咄嗟のでまかせが効いたらしい。彼女は「任せて」と言わんばかりに強く頷いた。 「ほ、ほら、いくよ」「う、うん」 私たちは体の力を抜いた。瞬時に笑顔で可愛くポーズをとらされる。……やっぱコーティング落ちてない。けど、怪我の功名だ。私たちはただのフィギュアのフリをすることができる。 落葉さんが近づいてくる。 (お願い、気づかないで気づかないでバレないで) あれだけ人間だとわかってほしかった自分が、今や逆のお願いをしている。悔しいけど仕方ない。女の子は拾ったお人形を届けたいとだけ説明。 (通じるかなぁ。こんな立派なフィギュアをいきなり「拾った」なんて) いや、自分で立派なフィギュアとかいうのは憚られるな……。 「あらそう。無くさないようにするのよー」 「はーい!」 ああ、そう、こういう女だった。何度こいつのミスを肩代わりさせられたことか……。 私は女の子の両腕に抱かれ、彼女の持ち物として改札を突破した。チクリと胸が痛む。あとで払おう。いや無理か……。 電車内で親子がボックス席を確保すると、私たちは落葉さんの大きな鞄に仕舞われた。こいつの鞄にモノとしてぶち込まれるのは心底腹立たしかったが、動くとバレてしまう。私たちは必死にただのフィギュアになりきった。 早起きしたことと、真っ暗な鞄の中に閉じ込められたこと。緊張の糸が緩んだこと。色々と条件が重なったことで、私たちはいつの間にか寝てしまった。鞄の中で、笑顔で媚びたポーズをとったまま。
Comments
コメントありがとうございます。今作も気に入っていただけたなら何よりです。
opq
2021-01-09 14:25:19 +0000 UTC自由に動けるけど、力を抜くと元のポーズに戻っちゃうのがツボでした。
いちだ
2021-01-09 00:50:23 +0000 UTC