地蔵女の夏
Added 2025-07-23 10:58:40 +0000 UTC「なんだまた余ったのか。おい、そこ入れてやれ」 体育教師が近くの二人に声をかけて私を入れさせた。二人は表情を変えず「はーい」とだけ返事し、私を見なかった。準備運動はその二人だけで粛々と行われ、私は傍で見ているだけだった。いつものことだけど慣れるということもなく、嫌な思いをすることに変わりない。まあ準備運動できなくても大して動かないし。と自分に言い聞かせながら、私はまるで傍観者のように自分のクラスの授業を「外」から眺め続けた。ルール上チームに入ってはいるけど実際にはプレイに携わらない、そんないつもの時間が過ぎていった。 昔からいつもこうだった。人と話すのが苦手で、押し黙っていることが多くなる。そして運動神経もよくないので、あまりキビキビ動けもしない。ついたあだ名が地蔵女。中学までは地蔵地蔵と馬鹿にされ、いい思い出がない。高校は中学までの知り合いがいないところをわざわざ選んだけど、結局腫物なのに変わりない。静かに遠ざけられるのも別種の辛さがあった。別の世界に逃げてもこうなるのなら、結局私が悪いんだろうか。喋りも動きもしないなら、あいつらが言っていたように私は地蔵か何かなのかもしれない。 夏。気温が異常に高まり、木陰でうずくまっていても文句を言われづらくなった。私は自分が所属しているはずのクラスの体育の様子を遠くからぼーっと眺めていた。次第に見ているのが辛くなり、膝に顔をうずめた。私は何しにここに来てるんだろう。いてもいないものとして扱われるならいっそ本当に……。そう思ったその時。全身にビシッと、今まで感じたことのない感覚が走った。瞬時に体が硬直して、私は動けなくなった。 (えっ、なに……?) 顔も上げられず、体育座りしたまま手足も腰も、一切動かせない。ピシパキと何か硬いものが折れ、弾けるような音を立てながら体の感覚が塗り替えられていく。手足の先から徐々に全身に広がり、広がったところはバキバキに固まり、ひんやりと冷たくなった。人間の体ってこんな硬くなるんだ、と私は他人事のように思った。謎の硬化は全身を侵し、ついに頭から髪の先まですべてがカチコチに固まり、私は指一本動かせなくなってしまった。 (何……? なんなの一体……) 微動だにできない、というのはこのことだろう。まるで時間が止まってしまったかのように、0.1ミリも動かない。動かそうとしても、動かそうとすることそのものができない。筋肉の存在を感じなかった。私の手足の中は、もう骨だの筋肉だのはなく、均質な石の塊か何かに変換されたのじゃないかと思うほどどうしようもなく、そして固かった。 声を出すこともできない。近くに誰もいないけど。どうしよう。顔を膝に埋めてたから何も見えない。ただ、離れたところからみんなの楽しそうな声が響いてくるだけだった。 これじゃ本当に地蔵だな、自嘲気味に思った時、誰かが近づいてきた。 「何これ?」 「石像?」 「こんなんあった?」 クラスメイトたちが続々周囲に集い、変なことを言い始める。ありえないことだけど、科学的にありえないことだけど……みんながふざけているのじゃなければ、私は……石になってるの? いや、ありえないでしょそんなこと。人が石になるとか。みんなが中学の連中みたいに私を地蔵扱いしてからかいだした可能性も……現実的にはそっちの方が……。でも、動かそうとすることすら拒み芯まで固まり切った体の感覚が、おそらくきっと真実だと冷酷に告げてくる。私は……石になっちゃったみたい。体育座りで顔を膝にうずめたまま。 (動けないの……誰か、先生呼んできて……) 心の中でそう念じても、声にならない。まあ、普段からまともに思ってること声にできないんだけどね……。ていうかどうしよう。石になったかどうかはともかく、全身ガチガチで動けないっていうことだけは事実。絶対に異常事態だから、まあ……保健室とか病院とか行くべき事態……だとは思うんだけど、動けないから誰かの助けを待つしかない。でも誰もそんなことを言いださない。みんなが話しているのは、誰が「これ」をここに置いたのか、あるいはいつからあったのか、そんな話。 「ていうかすごくね? マジリアルじゃん」 「あんま触んなよ。傷とかつけない方がいいって」 「こんなとこ置いといてそれは通らんっしょ」 誰かが土のついた靴で私の太ももを軽く踏んだ。私の太ももは一切へこまない。本当にそこまで硬くなってるんだ、と私は思った。 「やめろって」 先生が来た。保健じゃなく、体育の。 「なんだこりゃ」 彼もまた「この石像」に心当たりがないらしい。先生までグルってわけじゃない限り、地蔵いじめの線はもうなさそう。石になってるんだ私。本当に。でもいったいどうして? ……地蔵女だから? 先生はサッカーに戻るよう言って、みんなが私から離れていった。誰も助けを呼んでくれない。といっても嫌いだから呼ばないという話じゃなくて、誰一人、石田さんが石になっていると気づいてくれなかったのだ。ナチュラルに石像だと認識され、そこで止まってしまう。それが結構衝撃だった。突然運動場の木陰に現れた石像が、いなくなったクラスメイトとそっくりだったらもうちょっと……ああ。顔、膝にうずめてるから見えないのか。いやでも消去法で……元から空気扱いだったから仕方ないか。いやでも先生ぐらい……の視界にも私は映らなくなっていたのかな。こうしてサボってても何も言われなかったんだし。一人で納得してしまい、その納得が私を傷つける。……この世から消えても私はこんな扱いなんだ。本当にいてもいなくても同じなんだ。 しばらくして体育が終わり、みんなが校舎に引き上げていった。私は石になったまま動けず、置いて行かれてしまった。次の予鈴が鳴り、別の学年が運動場に出てきた。私を見つけた人が友達を呼び、囲われ、同じような会話が繰り返されたのち、離れていって体育の授業が始まった。私のクラスも次の授業が始まっているはずだけど、石田さんを探す声は聞こえてこないし、そんな気配もない。 (……どうしよう) 立ち上がろうとしてみても、頑として体はいうことをきいてくれない。ピクリともしない。強い風が吹いても髪の毛一本揺れもせず、私はずっと同じ姿勢で固まっていることしかできなかった。 いつまで続くんだろうこれ。なんで私石になったの? 誰の仕業? それとも自然に? 元に戻れないの? だとしたら私……一生このまま? 想像したら次第に怖くなってきた。これからずーっと、この運動場の隅っこで体育座りして顔を隠した謎の石像として放置され続ける人生。動くことも喋ることもできず永遠に……いや。 (それは元からか) 動きも喋りもしないの、元からだったかもしれない。だとしたら、そんなに変わってないのかも。地蔵女だから地蔵と同じ石になっただけ、なんだかそれほど不自然な現象でもないような気さえしてきた。 (……やだ) 次の予鈴が鳴ると、急速に寂しく、悲しくなってきた。こんなところで一人、ずっと石像のままだなんて。誰かが私の捜索を始めてくれても、この石像が石田香であることに気づくことはないだろう。人が石になるなんて普通ありえないことだし、その瞬間を誰も目撃してはいなかった。顔を上げていれば「石田さんにそっくりな石像」になれた。でも顔をそむけた私にはそれさえない。 後悔が波のように押し寄せた。サッカー参加してればよかった。顔上げてればよかった。いなくなったら騒がれる程度には頑張って交友しないといけなかったんだ。もっと私が普通にやれてたら。動けたら。喋れたら……。 (やだよう) たとえ元から地蔵みたいな女であっても、人間に戻れてもやること変わらなかったとしても。こんなのあんまりだ。悪いことをしたわけでもないのに。怠惰はそれほどの罪? 理不尽だよ。 元に戻りたい。ここから動きたい。声を出したい。人として扱われたい……。 心から強くそう思った時、体の表面からジューッと、鉄板の上で何かが焼けるような音がしだした。体の硬化が次第にほぐれて、手足に指示を出す資格が蘇った。湯気みたいな煙が私の表面から立ち上る中、錆びた機械のようにぎこちない動きだけど、私はビクッ、ビクッと段階的に体を動かせるようになってきた。もう少し経つと、立ち上る湯気の中、ようやく私は解凍された。 (……あ) 顔を上げた。運動場には誰もいない。校舎から声が聞こえてくる。私は立ち上がった。全身バキボキ音が鳴り、軋む。おじいさんみたい。おぼつかない足取りで私は運動場をあとにした。 ああ……よかった。心から安堵した。私は自分の手のひらを何度も握っては開き、石じゃないことを確かめた。……一体なんだったんだろう? なんで私石に……本当に石になってたのかな。現実的に考えてありえない……。喉元過ぎれば熱さを忘れるというけど、急速にさっきまでの絶望と異常な体の硬さが現実感を失っていった。夢だったかもしれない。熱中症で倒れてたかも。……だったら保健室か病院で目覚めるはずか。 教室に戻ろうとしたけど授業中で入りづらかったのと、体操服のままであることに気づいたのとで、私は自分のクラスにまだ戻れなかった。着替えどうしよう。今鍵かかってるかな……。 その日の夜。私はベッドに転がりながら、今日起きたことを反芻していた。マジで何だったんだろう。わからないや。でもさ、私がいなくなってたら普通もうちょっと問題にならない? 先生も気づかないほどなの? 誰かが薬か何かで私を動けなくして学校ぐるみでからかったって可能性は? 考えれば考えるほど鬱になっていく。あの芯まで固まった感覚。絶望的な気持ち。もし元に戻れなかったら一生石像……。文字通り地蔵女になってたわけで。頭の中で、中学の連中が「これがほんとの地蔵女」「マジで地蔵なったウケる」「ま、元から地蔵だし大して変わらないんじゃね?」などと口走り私を口撃するのを想像してしまい、胸の奥が締め付けられた。もう高校生になったのに、自分で中学時代のことを思い出すばかりかそれをベースに自分を傷つける想像をしてしまうのが心底嫌で、自分が惨めだった。 もういやだ。考えたくない。自分が嫌だ。そう思った時。再び、アレが起こった。全身がビシッとして、寝ころんだまま動けなくなる。ピシパキ言いながら体を構成する物質が芯まで硬い何かに置換されていき、私はまた……どうやら、全身石になってしまったらしい。 (え……ちょ、うそ) 夢じゃなかった。現実だった。またアレが。なんで? 動けない。また石になるなんて嫌だ。私は地蔵じゃない。せっかく元に戻れたのに。今度戻れなかったら? 奇跡は二度起きるの? パニックになり、色々なことが頭の中を駆け巡った。グチャグチャの思考はバキッ! という嫌な音によってかき消され、一つの思考に統一された。 (あっ) やばい。ベッドが。今のはベッドから出た音だ。 バリッ、とまた木が深刻なダメージを受ける音が鳴った。私のベッドは昔からずっと使ってるやつでもうガタがきてる。確かに前からミシミシ言ってたけど。でもなんで急に……ああ。私が石になったから……ってマジで!? 石になったってみんながからかったわけでもなく、夢でもなく、比喩でもなく、本当に物理的に…… バキン、と今まで一番大きな音を立て、私の体は沈んではいけない場所に沈んだ。視界が一段下がり、折れた材木が見えてしまった。昼間は膝に顔をうずめたけど、今度はベッドに埋まる……いや突きぬけてしまった。 「どうしたの! 今の音なに!?」 お母さんが部屋に来るのと、全身から湯気を出しながら私の体が肌色を取り戻し始めるのは同時だった。ベッドに開けた大穴から立ち上がると、驚愕したお母さんの顔が目に飛び込み、私は金魚鉢をひっくり返した赤ちゃんのようにその場に硬直してしまった。もう石じゃないのに。 謎の石化現象はしばらく続いた。どうやらこれは誰かが起こしてるものじゃなく、私自身の問題らしい。一か月もすると、私は石化に慣れて従えることができてきた。石化現象をコントロールできるようになったのだ。石になりたいと思った時に石化して、戻りたいと思った時に戻れるようになった。石化は私への罰でもいじめでもなく、能力が発現したものだった……のかもしれない。でもなんで? 地蔵みたいな女だから? 神様嫌味すぎない? とはいえ石になれるようになったからといって、特に意味もなければ使い道もない。自分を石にできるから何? 見世物にしかなりゃしないよ。いや私じゃ見世物にすらならないかな。 「こら、いつまで石になってるの! 早く起きて学校行きなさい!」 当初は狼狽え心配してくれていた家族も、今やこんな有様。いっそのこと運動場で石になったまま元に戻れなきゃよかったかも。そしたら私を心配し続けてくれたかな。 まあ、高校行くのも今日までだけど……。辞めるとかじゃなく、明日から夏休みなのだ。 高校一年の夏休み。きっと普通なら楽しいんだろう。私は友達いないから引きこもるだけの日々だった。何も予定がない。せっかく家から離れた高校に行ったのに、私は何一つ変わらなかった。……いや、石化能力に目覚めはした。けど石化させるのが自分だけじゃ無意味だけど。 それでも好きなアニメの映画が公開されたので、私はある日家を出た。近くで、中学までの同級生が4,5人集まって話しているのを見てしまった。やばい。心臓が鼓動を早め、暑さのせいじゃない汗が流れた。まだ向こうは気づいてない……早く引き返さなきゃ。私は足早に180度方向転換して、その場から離れた。あいつらの楽しそうなお喋りの光景が頭から離れず、私は映画に行くことができなかった。近くの林に逃げ込み、道の脇でうずくまる。あぁ……だから家出たくなかったんだ。近所嫌なんだ。あいつらがいるから。会いたくない。会いたくない。見られたくない。気づかれたくない……。そう思っていると、体が石化し始めた。無意識に発動してしまったらしい。 (まあ、いいか) 私は林の整備されてない道の脇で、膝を抱えたまま石になった。顔は上げたままなので、木々の様子を眺めることができる。制御できるようになった今、石になっていると不思議と落ち着く。煩わしい人間社会から離脱して、惨めな「石田香」ではない存在になれたように感じて。極限まで硬化した体のまま林の一部になっていると、人の気配がした。 (え!?) こんなところに人が来るなんて。けど今石化を解くわけにいかない。私は通行人が立ち去るのを待った。視界は固定されていて目の前に来るまで誰かわからない。中学までの知り合いだったらどうしよう。顔を上げている。見られればわか……いや、人が石になっただなんて想像すらできないだろう。私にそんな能力があること、現実にそんなことが起こりうることなどあいつらは一生知らない。そう思っていると視界の端に人が映った。ついに姿を見せた通行人は……子供だった。小学生の……六年くらい? の男の子。ワンチャン中学生かもしれない。そんな子だった。私の目の前に立ち、ジッと私を見つめた。 (うう……) 石化状態をこんなに間近で、しかも知らん人に見られるのは初めてだったので、ものすごく気まずく、恥ずかしい。目を逸らしたいけど、それさえできない。視線はピタリと固定されたまま一切動かせないからだ。 (ど、どっかいってよお) 願い空しく、男の子は私に近づき、屈んで目線を合わせてきた。目と目があう。生まれて初めて向けられる眼差しに、私はドギマギした。感心……強い興味を持っていることが言葉などなくとも嫌というほど伝わってきた。私を見ている。私を見て……何か、いい風に思っている。馬鹿にするのでも不思議がるのでもない。ただ胸を打たれ、感動しているらしかった。人にこんな反応されるの初だよ。しかも男子に。って何考えてんの私。こんな子供相手に……。でも彼の輝いた目と開いた口を強制的に見つめ続けさせられるので、意識しないではいられなかった。 (そんな見ないでよ~!) 彼はようやく視界から外れてくれたが、側面に回っただけだった。四方八方からジックリと観察してくる。滅茶苦茶気まずい。何なのこの子。 人生でも屈指に入る長い数分の後、私の視界に戻ってきた男の子は鞄から何かを取り出そうとしたが、ないらしかった。懸命に探している。途中でもってきていないことを受け入れざるを得なくなり、まるで始業式に夏休みの宿題を持ってくるのを忘れたかのような顔を見せ、突然猛ダッシュでその場から走り去った。気配と音が完全に断たれたのを見計らって、私は石化を解いた。湯気が上る中服が色彩を、体が肌色を取り戻す。立ち上がった私は彼が走り去った方を見てから、反対方向に急いで逃げ出した。あー、恥ずかしかった……。あの子が忘れたもの、きっとスマホに違いない。私を撮影したかったのだろう。多分。撮られなくてよかった。 家に帰ってから、私はその男の子の真剣な眼差しを反芻し、ベッドの上で悶えた。多分小学生ぐらいとはいえ男子にあんな目を向けられたのは初めてだった。まるで……その……なんというか……美しいものを見て感動したかのような……っていやいや! ない! 私だぞ私! でも、明らかに見慣れない石像を怪訝に思っている、って感じじゃなかった。私に……すごく惹かれ、いや……何考えてんだ私。地蔵の上に自意識過剰の勘違い女とか最悪すぎる。化物じゃん。 映画のことは頭から消し飛び、その日全く思い出せなかった。 翌日、気になって同じ時間に林に行ってみた。すると、いた。男の子がスマホを片手にウロウロウロウロ。勘は当たった、撮るつもりだったな。しかし、私は彼の顔を見た瞬間、その悲痛な表情に罪悪感を抱かずにいられなかった。真剣だった。この炎天下、昨日からずっと私を探していたのだろう。私を見るなり駆け寄ってきて言った。 「あのっ……昨日、この辺に……石像がありませんでした? 見ました? 知ってます?」 彼がただネタか何かとして撮りたいわけじゃないのは一瞬で伝わってきた。心から出ている悲壮な声だった。まるで消えた恋人でも探しているかのように。 「……ん、ァっ」 「え?」 「あっ、ごめっ、その、見てない……かな」 「え?」 「見てない……」 店員じゃない知らん人、それも年下の男の子とか経験なさ過ぎていつにもまして声が出なかった。ああ。穴があったら入りたい。 「そうですか……」 彼は見る間に落ち込み、昨日の私みたいに座り込んでしまった。私はなんだかとても申し訳なくなってきた。いやなんで? なんでそんな顔すんの? 私の何が……その、よかったの? そんな見たくなるポイントあった? 気まずすぎて私はそそくさとその場から逃げ出した。でも、彼のあの心底残念そうな顔が頭から離れず、その日はなかなか寝付けなかった。 また次の日、私は昨日より少し早めに林に行った。彼はいない。もう諦めたかな。でも……なんかマジっぽかったし、また来るかも……。 (一回だけね) 一昨日に私が石化して座っていた場所。石像の重みで土がへこんでいる。私は同じ場所に腰を下ろし、石化した。何やってんだろう私。でも、なんか私が悪いみたいだし……いや悪くないし。まあいいよ。どうせやることないし。 しばらくまた木々の様子を眺めていると、軽い足音が近づいてきた。途中で止まった。次の瞬間ダッシュで駆け寄ってきて、例の子が私の視界に現れた。人が感動している様子を初めて見たかもしれない。少し涙まで滲ませ、私に近寄ってきた。 (あ……ちょ、待っ) 私に手を伸ばして触ろうとしてきたけど、彼は寸前で思いとどまったらしく、手を止めた。それから今度は忘れなかったスマホで私を撮影し始めた。正面、側面、後ろ、斜め、上から、念入りにいろんな角度から。 (ええ~) 私の何がそんなにいいの? しかも石になってるのに。膝抱えて石になってる姿なんて広められたくないはずなのに、こんな無遠慮にバシャバシャ撮られるの気持ち悪いはずなのに、何だか嫌じゃなかった。 彼は途中でだんだん怪訝な表情をし始めるようになった。私の周りをグルグルして、悩むようなそぶりを見せる。え、何? 石の私が見たいんじゃなかったの? せっかく人が……ああ。彼は別に「いや、よく見たら別に綺麗でもなかったな」と思っているわけではなく、どうやら……「石像が変わっている」ことに気づき、自分の記憶と戦っているらしいことが伺えた。私は驚いた。自分では同じポーズで石化してあげたつもりだったから。そりゃまあ生きている人が石になってあげてるんだから厳密にまるっきり再現は不可能だけど、そんな細かいところ気づく? ああ、服違うなそういえば。ていうか服。もうちょっといいの着てくればよかったな。見られるってわかってたのに。なんか違う理由で恥ずかしくなってきた。 彼はたっぷり一時間近く私を観察したあと、名残惜しそうに去っていった。それからさらに十分ほど空けてから私は人間に戻った。戻った時には顔が真っ赤だった。 それから、奇妙な日課が始まった。昼下がりに林に行き、道の脇で石化して彼を待つ。来る日が多いけど来ない日もある。彼はいつも真剣に私を観察した。人に見られるというのが前提になると、徐々に私の意識も変わっていった。もうちょっとその……見てくれのいい石像になりたい。生まれて初めて、現実にかわいい服が欲しくなった。そして買った。買ってしまった。この私がオシャレとか始める日がくるなんて、地蔵女が。しかも地蔵になるためなのだから笑っちゃう。林の道の脇で石になっているなんて本当に地蔵じゃんね。石になるためにかわいい服着るなんて世界で私一人だろうな。最初は買っても着れなかった。着ている自分を受け入れられなくて。私がこんな格好してるなんて。これで外に出て? 人に……あの子に見られる? うわ~、無理ぃ。きついって。中学の連中とかに見られたら何て言われるか……。でも、彼がどんな反応してくれるか想像すると、そっちが勝った。私はオシャレ……ってほどでもないけど、かわいい服を着て林に赴き、石化するようになった。変わったのは服だけじゃない。毎回同じポーズなのも芸がないし、落ち込むように膝抱えて座り込んでるのなんか体裁がよくないので、私は立って石化することにした。とはいえ自分でポーズつけて石像になるという行為がものすごく恥ずかしくいたたまれない。自分みたいなのがモデルか何かになったつもりかと。でもあの子にもっと可愛い、綺麗だと思ってもらいたい。葛藤の末、木を眺めてる感じとか、自然そうな姿勢に落ち着いた。流石に露骨にモデルみたいなポーズはとれない。死んじゃう。ていうか鏡の前で試したけどなんか上手くいかないし。 男の子は日々変わる石像に驚き、ちょっと恐怖を伺えてしまうこともあったけど、次第にそんなものだと受け入れたらしく、毎日喜んで見に来るようになった。彼のキラキラした目と真剣な眼差しが私に向けられることがこそばゆいけど何だか嬉しく感じてしまう。こうして互いに名前も知らない、なんなら人間であることさえ知られない、奇妙な交流が始まった。 ある日、林に行ったらすでに彼がいた時。人間でかわいい格好してるの見られるのは嫌だったので思わず引き返そうとしたとき、すごい勢いで走ってきて腕を掴まれた。 「あのっ……石の人、ですよね……?」 あ、ばれた。いやどうする? ごまかす? そりゃ、誰かが超リアルな石像を大量生産して田舎の道端において即撤収、とかするよりかは誰かが石像パントマイムしてると考えた方が常識的か……。やりすぎちゃった。顔も同じだしな……毎日メッチャ観察されてたし。気づくよね。時間帯だし。いやでも認めちゃったらものすごく恥ずかしいことになる。変態だよ私は。……ていうか本当に何やってたんだ私。 「えっ……とォ」 動揺する私に、彼は確信を持ってしまったらしい。人間なのに石像と同じくらいしか喋れない私を差し置き、彼は自己紹介を始めた。近くに住んでる中学生で、彫刻をやっているらしい。中学生だったんかい。意外と年が近い……やば死にたい。恥ずすぎる。で、私……の石像を彫刻の参考にしたい、していたとのこと。ああ、そういう……。 「あの……モデル、というか……参考資料になってもらえませんか」 話の最後に出た言葉はそれだった。参考資料になってくれって、初めて言われた。そんなのあるんだ。 「……ぃ」 石像の私を見つめる時と同じ眼差しだったので、断れなかった。そのまま彼についていかされた私は、あの忌々しい中学校に連行された。 (うっ……!) 嫌な思い出が蘇る。嫌な思い出しかない。二度と来たくなかった場所。よりによってここ……。校門をくぐれずまごついていると、彼が落ち込んだ様子で 「あの……やっぱり嫌ですか?」 などと言ってきたので、私は足を踏み入れざるを得なかった。そんな顔しないでよ反則だって。……まあ、同級生は卒業してるし夏休みだし……いいか。 美術室で、今度は私が自己紹介した。石化能力のことも言わざるを得なかった。 「ご、ごめんなさい、今まで……だましてて」 「? いや、こっちこそつき合わせちゃって申し訳ないです」 年下の方がしっかりしてるとダメージを受ける。 そこで私は、彼の目の前で石化した。家族以外の前で自己石化するの初めて……。なんか緊張するし恥ずかしさも感じる。ジッと見つめてるんだもん、メッチャワクワクして。 私が全身石化すると、彼は年相応かもっと小さい子みたいに興奮し周囲を回りながら、私の出来がどれほどいいか声に出して解説してくれたので、私は今すぐこの場から煙になって消えたくなった。石になってなかったら全身まっかっかだったよ。 それからは、林ではなく中学の美術室で石化するようになった。連絡先を交換したので行き違いもない。中学校行くの色々と勇気が要るけど、彼が待っているから仕方ない。そのうち段々嫌な汗もかかなくなり、自然に入れるようになった。 美術室では彼のふるうノミの音と、遠いグラウンドから聞こえる運動部の声だけが響いている。なんだか心地よい時間で、ずっとこのままならいいなと思う。 不満が一つあるとすれば、私が人間でいる時と石像でいる時で彼のテンションが違うこと。石像になると目を輝かせるのが内心ちょっとムッとする。……人間の私には興味あんまない感じ? 石になれれば誰でもいいの? でも、こんな風に人に必要としてもらったことも、綺麗だと思ってもらえたこともない。地蔵女であることが役立ったことも。二人だけの静かな美術室で、私はこれまでにないような夏を石の身で過ごしていた。
Comments
コメントありがとうございます。倒錯的なのは良いものです。
opq
2025-07-24 13:41:22 +0000 UTC感想ありがとうございます。こういうのもいいですよね。
opq
2025-07-24 13:40:31 +0000 UTC倒錯的でぞくぞくしますね
いちだ
2025-07-23 16:49:52 +0000 UTC自分の石像姿を年下の男の子にだけ見せてあげるというシチュエーションがとても好きです
ヤクラム
2025-07-23 12:58:10 +0000 UTC