とてもご無沙汰しております。ぽかちゅです。命からがら、なんとか活動を続けられています。
正直申し上げますともう風前の灯です。来月の生活費すら払えるかわからない状態が続いています。
でもFANBOXでコンテンツをやりたい気持ちも創作活動をやりたい気持ちも熱は持ち続けています。そこに光を見出しているからです。なんとか這い上がりたいと思っています。応援していただければ嬉しいです。
うまく這い上がれたら、その事をブログに記しておきたいと思っています。
私事過ぎるくらい私事になるところから話を始めないといけないのですが、
僕は長らく家族との連絡を取っていませんでした。
僕が高校を卒業したタイミングで両親が離婚をしました。母はほとんど何も荷物を持たない状態で家を追い出されるような形で出ていきました。
それからは僕と兄と父での三人の生活が始まったのですが、父は僕らに相談もせず「一人で生きていくのは辛いから」と再婚の道を選びました。その女性も一度離婚を経験していて、二人の兄弟も一緒に僕らの家で暮らす事になりました。
僕はその新しくできた義兄弟の二人とも割と仲良くやっていたのですが、元々の血縁関係である僕と兄、父の関係はより溝が深くなってしまいました。
父はまるで自分の人生をやり直すかのように義兄弟の事を愛でるようになり、同じ家に住んでいるのにまるで他人がルームシェアをしてそれぞれ一人暮らしをしているかのような状態になっていました。
高校を卒業してから僕は就職をしたのですが、それ以降父との会話は毎月家にいつお金をいれるのか、という話だけになっていました。
仕事上の人間関係も良くなく先輩から大声で怒鳴られたり人格を否定されるような事を言われる事もあって、
仕事に向かう車の中で何もないのに急に泣き出したりしてしまったりしていました。
仕事を初めて一年と4ヶ月ほど経った頃に大きなミスをしてしまい、仕事を辞めるのか今まで以上に厳しい教育を受けてでも続けるかという選択を迫られ、仕事を辞めるという選択肢を取りました。
仕事を辞めたあとは自分のこれからの道をどうすべきか考えました。もう一度就職するのか、憧れていた東京で一人暮らしをするのか。
父は、「お前に一人暮らしなんてできるわけがない」と反対しました。
ですが、僕は仕事を辞めて雇用保険をもらうようになってからもただでさえお金のない自分に今月のお金をいれるように要求してくる父にうんざりしていました。
僕は家族にも友達にも黙って家を出ることを決意しました。
それからは、何度も鳴る父の電話も母からの連絡も一切取りませんでした。
もうお金の事を考えるのが本当にいやでした。
母からの連絡を取らなかったのは、父から母と離婚した理由に「貯めていた家のお金を勝手に使っていたから」と聞いていて(後々母がそれを否定するのですが)
父と同様に母からももしお金の事で何かせびられるような事になったらもう心が耐えられないと思ったからです。
母とは10年以上も連絡を取っていませんでしたが、毎年誕生日になると留守番電話に「誕生日おめでとう」とメッセージを残してくれていました。
今になって思うと、それが唯一自分の事を思ってくれている家族がいるかもしれないという支えになっていたと思います。
ある時にいつも見ていたyoutubeのファミリー系のチャンネルで、第二子が産まれたという動画が上がりました。
出産直前から出産直後にいたるまで、お母さんが一生懸命頑張って、お父さんも懸命に励まして、病院の方々も産まれてくる命の為に全力で頑張って、命が産まれたところを見た時に、
急に自分の母がどれだけ頑張って自分を産んでくれたのかと感じて、それを感謝しなければ一生後悔するだろうと思って、思い切って母に産んで育ててくれた事への感謝をメッセージで送って、そのあと電話で話もしました。
母はもちろんお金の話なんてすることはなかったです。それが本当によかったと思っています。
それから、母とは時々電話で話をするようになって、自分が覚えていない赤ん坊の頃の事や、小学校の頃の事などたくさん聞かせてもらいました。
それからしばらくして、2022年の春、母は乳癌になりました。
最初は胸のあたりにシコリがあると言っていて、触ると痛いんだと言っていました。病院に検査に行くと言っていた時、最悪だけは起こらないように祈りましたが、結果はやはり乳癌ということでした。
その時はあまり自覚がなかったですが自分でもとても落ち込んでいたと思います。仕事も手につかないし、上手くいかない事も増えていました。
ただ不幸中の幸いで早期発見をすることができたので、母の癌はステージ1との事で治療は可能とのことでした。
ただ、少し厄介な種類の癌だったらしく抗がん剤での治療しかできないと聞きました。
母は癌になってから自分の元を離れていく人がたくさんいたと言いました。僕は母から電話があるたびにすぐに出るようにして、少しでも励ませればと思っていました。こちらから電話することも何度かありました。
母が辛くなりすぎないように治ってからの事もたくさん話しました。治ったら一緒にどこか旅行に行けたらいいねとか話したりもしました。
母は治療の甲斐もあって寛解することができました。転移もないと聞いて、心底ホッとしました。
母は小さい頃から親に否定をされながら育てられてきたと言っていました。母の両親も、一度離婚をしていました。
結婚をしている時はどれだけ父からひどい扱いを受けても「自分のようになってほしくないから」と僕が高校を卒業するまでは離婚をしないと決めていたそうです。
離婚してから結婚した時にもらったであろうタンスであるとか、とにかく自分が持っていきたかったものは何も持たせてもらえずに少ないお金だけ持って追い出されたと聞きました。
離婚後実家に帰っても「お前に住ませてやる場所はない」と言われ、友人の所等あたっても他に居候できる宛もなく実家も離れて別の場所で一人暮らしをしながら働いて生きていたそうです。
癌が治ってからそういう話を聞いていて、僕は疑問に思ったので母に聞きました。
過去にそれだけの辛い経験をして、最悪の選択肢を取る可能性だってあったと思うのに、ここまでやってこれたのはどうしてなのか?と。
母はただ一言「お前に会いたかったから」と告げました。
僕は家を出て一人暮らしをしてからはずっと一人で生きているという気持ちで生きていました。
それはあくまで自分の為でした。誰かの為になっているとは感じていませんでした。
でも母からその言葉を聞いた時、自分が生きているだけで誰かが生きる活力になっていたという事を知ったのと、ずっと自分の事を思ってくれていた人がいたという事を知ることができました。
同時に決してくじけずに生き続ける母の強さとたくましさをとても強く思い知らされました。
母は別にいいと言うのですが、僕は母が少しでも幸せと思える時間を作りたいと思うようになって、その為にとにかくお金を稼いで時間を作らないとと考えるようになりました。
こんな事を言いながら今、風前の灯です。でも、諦めたくありません。目の前にある光を失いたくないです。
母がしているように僕ももがきたいと思っています。
FANBOXを更新していなかったのは最近のFANBOXの動きに疑問を持っていたからというのとか、音声作品の事はCi-enで書くようにしていたとか色々あるのですが、
将来的には同時並行でどちらもコンテンツをやっていけるようにしたいというのは気持ちは変わっていません。
もちろん時代も変化していますし形は色々あると思うのでどうなるかはわかりませんが。
ただ、ここ数年もがいていて自分が誰の助けも借りずに這い上がるのは無理かもしれないという事にようやく気づいたので、もっと人に頼ったりすることをしようと思います。諦めずにもがき続けようと思います。母の為にも。
更新していなくてもずっと支援してくださっていた皆様、本当にありがとうございます。僕はもがき続けようと思います。自分の絵のあり方も、考えていこうと思います。
どうか、これからも応援よろしくお願いいたします。
長々と書き連ねてしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。