アヤカシパークBackyard 〜エピソード0〜 二話
Added 2025-06-15 11:15:17 +0000 UTC二 メイドが部屋を出てしばらくすると、台車を押して再び入室してきた。運ばれてきたのは水で満たされた水槽だ。魚の1匹も泳いでいないそのガラス面に私の訝しむ顔が映った。 「さて、最大の問題は、着用時間ですね。キャラクターの運用は、少数精鋭で、かつ、常にパークにキャラを存在させるためには、休憩時間すらも着ぐるみを脱がずに済むような魔法が必要です。」 ソファに上品に腰掛けたまま、こともなげに彼女は言った。 「まさしくその通りです。」 私は肯定する。その魔法が欲しくてここに来たのだ。南偶裏生(ミナスミ リオ)。本名なのかは定かでないが、業界ではその名を知らぬ人はいない。美術系の仕事の委託先はいくつかあるが、彼女はとりわけ特殊な存在だ。着ぐるみ製作を専門に行う個人事業主なのだが、コンタクトを取ることすら通常ではできない。私の個人的な趣味の伝手で、たまたまコネクションができたことをきっかけに、イベント用の着ぐるみを作ってもらったことがある。様々なフェティッシュな欲望を満たすその多彩なギミックに惚れ込み、あるいは彼女ならば、と藁をも掴む思いでやってきたのだった。現に、訪れるたびに、側に控えているメイドの着ぐるみは変わるが、長く滞在しても休憩しているようなところは見たことがないのだ。 「水分や栄養の補給は、口元にスリットをつければチューブを通して可能でしょう。本当に難しいのは、排泄、清潔の問題をクリアできるか、です。」 その通りだ。全身をタイツや衣装で包まれた状態では、容易にトイレには行けない。オムツという手も考えたが、衛生状態や臭いのことを考えると限界がある。 「そこで。私はこれを考えたのです。」 彼女は水槽を指差した。水の中には何もないように見えたが、目を凝らすと、500円玉くらいの大きさの円盤状の何かがガラスを這っている。半透明なので気づかなかったが、脚のないクラゲのようで、広がったり縮んだりを繰り返しながら動いていた。 「見えましたか?これは私が開発した、まぁ掃除用ロボットのようなものです。クラゲロボットとでも呼びましょうか。」 「ロボットですか。まるで生き物みたいですが。」 「ま、その辺は企業秘密ということで。じゃ、ミーナお願い。」 メイドは頷くと、台車の下の段から黄色い液体が入った瓶を取り出して、慎重に水槽へとそれを沈めた。瓶の蓋は開いていて、黄色い色が少しずつ水槽の水に溶けだしたのが見える。 変化はすぐに起こった。壁に張り付いていたクラゲロボットたちが底面を伝い、瓶を這い上がると、その柔らかい身体をくねらせて中へと次々に入っていく。そしてそれから、1分もしないうちに瓶の中は完全に透明になった。 「こんなふうに、汚染物質を感知して、一瞬で綺麗にしちゃえるんです。」 真偽のほどは分からない。手品のようなトリックを使っているということも考えられる。しかし、もし、このクラゲが汗も排泄物も処理してくれるとすれば‥。 「人体から出る悪臭の原因は基本的に全て、もちろん菌や皮脂も含めて水と無害な物質に分解されます。まぁ、多少の塩分は残るかもしれないですが。」 それができたら、まるで生きた人形の完成だ。私は思わず唾を飲み込んだ。 「着ぐるみへの実装はプロトタイプで実験中ですが、ほぼ実現可能な段階まで来ています。」 「本当にそんなことが可能なのですか?」 彼女は意味ありげに微笑んだ。 「その疑念はごもっともです。そうですね、まずはそう。無害化については実際にできているかチェックしましょう。ミーナ、瓶の水を飲んで。」 一瞬、メイドの動きに躊躇うような間が生じた気がした。実験用の液体とはいえ、汚物の代わりと考えると、躊躇もするだろう、ただの人間ならば。メイド人形はすぐに笑顔で頷くと、瓶を水槽から取り出して、テーブルに置くと、今度はエプロンのポケットからチューブを取り出して瓶の口に差し込んだ。その手は微かに震えているように見えた。 細いチューブの中を透明になった液体が昇っていって口の小さなスリットの奥へと吸い込まれていった。瓶の中の液体は少しずつ減っていく。順調に飲み込んでいるようだ。 「ちなみにあの黄色い液体はなんだったんですか?ジュースか何かですか?」 「いや、それだとこの子の汚物を自己処理できたことにならないですからね。まぁ、ジュースと言えばジュースですが。」 これ以上聞くのはやめよう。 「さて、そろそろ良いよミーナ。」 メイドの着ぐるみは明らかにほっとした様子だった。 「さて、あとはこのクラゲをどうやって着ぐるみに仕込むか、ですが、そこはあまり難しくありませんでした。肌タイの下に専用のインナースーツを着てもらって、肌との間にクラゲを仕込むだけです。」 確かにこの形態なら、タイツの裏に入っていても一見してそんな仕込みがあるとは思わないだろう。 「なるほど、その上からタイツを着てしまえばわからないと。しかし顔はどうするんです?」 「無論、顔も掃除してもらわなくてはならないので、インナースーツは顔まで覆う仕様になっています。水分は少しずつ染み出す生地で作っているので、汚れが分解された後の水だけが肌タイに染みます。目と口の部分の生地はメッシュにしてありますが、そこから漏れた水分はマスクに溜まりますが、そこまで気にする必要はないでしょう。」 「なるほど、全身を常に掃除しながら、着ぐるみに入っていれば長時間着用も可能と。しかし、こんなものが身体中を這い回っていては、くすぐったくて演技どころでは無くなるのでは?」 「‥だそうだが、実際どうだい、ミーナ?」 メイドは静かに首を傾げた。「何のこと?」とでも言うように。 「え?」 思わず声が出た。それはつまり、そういうことなのか? 「今日で3日目だけど、全然大丈夫そうだね。あと1週間くらいはいけるよね?」 ミーナは、一瞬固まったが、主人の目線を察知したのか慌てて頷いた。 「うんうん。大丈夫そうだ。せっかくですし、今日はお泊まりいただいて、色々と試していかれるというのはいかがですか?」 俄かには信じがたい光景だが、確証が得られれば、収穫は大きい。背中を伝う汗を明確に認識しながら私は頷いた。