人形美術館 3部屋目
Added 2025-09-01 12:36:04 +0000 UTC絵画から出てくると、直立して待っていた案内人形は少しもじもじしているようにみえた。だが、次に行くタイミングだと察したのか、すぐに次の部屋への案内に戻った。 人形の導きで次の部屋に入ると、やはり部屋には美術品が一つだけ展示されている。これまでの作品と違って、見たこともない姿だ。抽象彫刻とでもいうのだろうか。形容し難いオブジェには、様々な色の球体が付いている。オブジェ自体は、金属のような質感のところもあれば、木の幹のようになっている部分もある。球体は、ダクトパイプのようなものでオブジェに固定されているようで、球体はオブジェの接地面に少し埋まっているような形だ。所々に人間の手や足が出ているが、一つとして組になりそうなものがない。 流石に何も分からないので、早速ガイドのリモコンを押す。流れ始めたノイズを聞くのも久しぶりのように思えた。 「こちらの作品は、『現代的ヴィーナスの探索』でございます。どうぞ手を触れて、作品の意図に思いを巡らせてください。」 ぷつっと音がして、アナウンスは終わった。あまりに短い説明は、疑問を解消してはくれなかった。音声ガイドが故障しているのだろうか。もう一度リモコンのボタンを確かめて、押してみる。さっきと同じ音声があのノイズをバックに流れた。違ったことといえば、メイド人形がぴくっと驚いたような反応をしたことくらいだ。三度ボタンを押しても結果は同じだった。 仕方なしに、オブジェを観察することにした。これもヴィーナスと言っていたが、女神どころか、人の形ですらない。いくつも出ている手足を触ってみても反応もない。 悩みながら球体をよく見てみると、つなぎめのようなものがある。あちこち力を加えて試してみると、フルフェイスのヘルメットのように、球体の前半分がスライドして開いた。 球体の中にあったのは、アニメキャラクターのような顔の頭部だ。首から下はオブジェに埋まっている。緑色のショートボブで、口を大きく開けて朗らかに笑っている表情だ。しかし、これまで見てきた人形のように、温かさや動きがないようだ。 他の球体も開くのだろうか、と別の球体を触ってみると、同じように開いた。全く同じ表情と髪型の頭。しかし、髪色だけが違っていて、これは、オレンジだ。 さらにもう一つ開けてみようと、次の球体を触ると、少しあたたかい。開けてみると、今度も全く同じだが、髪が水色だ。むわっとした熱気が球体から漏れ出した。ふーっ、ふーっ、と音がしている。とりあえず、開けた3つの球体を閉めて元に戻すと、また無言の空間が戻ってきた。あとは、オブジェのてっぺんにある球体だけだ。ここも一応開けてみる。こちらも少し暑くなっていたが先ほどの球体ほどではない。こちらの球体は空気が通るのかもしれない。髪はピンク色だ。 これで開けられそうなところは全部いじってみた。他はどうかと、オブジェを手当たり次第に弄っていると、パイプや木の枝のようなものが絡みついた奥に、一際太い幹のようなものがあり、枝をかき分けてそれを触ると金属のような見た目とは裏腹に柔らかい。そのまま、あちこち触っていると、もぞもぞと動くようだ。くびれた部分が、収縮している。上の方まで幹を辿ると、柔らかいこぶのようなものが二つあった。二つの柔らかな塊の谷間は濡れている。揉んでみると、むにゅむにゅとして心地よい。てっぺんのピンク髪の顔から聞こえる、排気音のような音が手に力を込めるたびにリズムを変える。手のひらを押し上げてきた固い突起を摘んで左右にくりくりと捻ると、顔がわずかに動いて、排気音が止まる。指を離すと、激しく音がまた鳴り始めた。何度か繰り返していると、視界の端で何かが動いた。 そっちに目をやると、いくつか飛び出た足の一つだったようだ。触れてみると、他の手足とは違って温かい。布地に包まれたその足の裏をかりかりと軽く爪を立ててくすぐると、指を丸めて足が縮こまる。連動して幹もくねくねと動いているようだ。 どうやら、オブジェの色々な部品が連動する仕組みのようだ。今度はピンクの髪の方の球体を閉じて、水色の方を開けてみる。さっき開けた時よりも熱と湿気がこもっている気がする。排気音もかなり激しい。この顔にも対応する部分があるのではないかと、周りを見てみる。あと触っていないのは、床へと広がっている木の根のような部分くらいだ。ここにも柔らかい部分があるはずと、触って確かめていくと、途中でむにっとした感触に触れた。オブジェから飛び出た部分はふくらはぎのような膨らみがあってその先は細くなっている。すりすりと撫でると、途中でびくっと反応した。ここがスイッチか。そこを指でつーっとなぞると、反対側にある同じ形の根が動いた。そっちを触っても同じような反応だ。両側を一斉に両手でかりかりと刺激すると、慌てて逃げようとする生き物みたいに暴れる。驚いたことに、幹の方も連動して捩れている。 複雑な形をしていて、外からは見えないところでは、何らかの形で繋がっているのだろう。リモコンのボタンの数から察するにこれが最後の作品だ。時間も余裕があるので、もう少し刺激してみることにした。 水色の方は蓋を閉じて球体に戻す。てっぺんのピンク髪の方の反応を観察しながら、枝やらパイプやらをかき分けて、柔らかいところに指を立てて撫で始めると、何かに耐えるように、ふぅーっと排気音がする。 勢いよく指をめちゃくちゃに走らせる。柔らかな幹は、くねくねと指の刺激から逃れようと悶える。顔もガタガタと震えている。排気音は人が笑っているような不規則さで響いた。 面白くてしばらくくすぐっていると、だんだんと動きが激しくなってきた。ふと、顔を見ると、首を横に振っている。満面の笑みで固まった表情は変わるはずもないのに、なぜか苦しそうに見える。指をさっきの柔らかいこぶの脇に潜り込ませて、さらに弄っていくと、幹は激しく捩れる。幹の全体をなぞりながら不規則に指を走らせていった。 急に動きが固まって、柔らかかった幹が硬直した。まずい、壊してしまったかと思い指を止めると、一呼吸おいて、ぶるぶるっと震えた。少しやりすぎたかもしれない。柔らかな塊の周りはじっとりと濡れて熱くなっていた。 少し手を休めていると、ごほっごほっ、と咽せるような声が微かに聞こえた。流石にやりすぎたかもしれないと、ピンク髪の顔を見るが、特に苦しそうな様子には見えなかった。しかしまた、咳き込むようなくぐもった声が聞こえてくる。今度は嗚咽のような声だ。 ふと、水色の頭が収められている球体の方を見ると、やはりここから声が聞こえているようだ。そっと開いてみると、こもっていた空気が一気に吐き出された。嗅いだことのある臭いだ。この臭気が球の中を満たしていたせいで、堪らずむせ返ってしまったのだろう。この臭いは、誤魔化しようもない尿の臭いだ。人形だから表情は相変わらずの笑顔だが、大きく開いた口から透明な液体が、よだれのように流れ出ている。入ってきた新鮮な空気を吸い込もうと必死な呼吸音が聞こえる。 球体の後ろ側に付いているパイプは、イミテーションではなく、オブジェの中に実際に繋がっていたのだ。こちらの球体は、密閉性の高いつくりになっているようだから、オブジェの中から空気を取り込んでいることになる。なぜオブジェの中が突如として尿の臭いで満たされてしまったのかは見当もつかないが、こういった変化にも反応するように人形は作られているのだろう。 満面の笑みでよだれを流し続けている顔は、狂気的に見えた。こっちを見ているような気すらしている。人形の視線を避けようと、また球体を閉じた。これで、最初と同じ形だ。しばらく咳き込む音や、えづくような音がまた聞こえていたが、次第に静かになった。 結局のところ、作品のテーマやら意図やらは分からずじまいだが、仕方あるまい。次に行こう。 ガイド人形に導かれて、次の部屋に入ると、正面に出口のドアがあった。さっきの現代アートが最後だったのだ。部屋の半分が仕切られていて、仕切りの木の柵の向こう側は、書斎のようになっている。徐ろにガイド人形が、柵の向こう側へと入っていった。柵には、「返却コーナー」と書かれた板が打ち付けてある。柵を挟んでこちらをじっと見ている人形にリモコンを手渡した。 「本日は、ご来館いただき誠にありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。」 人形が深々とお辞儀をした。そして元の姿勢に戻ると、何やらリモコンを操作している。いくつかボタンを押したと思うと、これまでとは比較にならない音量のノイズが人形から聞こえてきた。リモコンを握ったまま、人形はくの字に体を曲げて、エプロンを押さえている。 「本日、特にお楽しみいただいたお客様に、特別のご案内です。本日、夜7時よりこの部屋において、ナイトミュージアム展示を行います。ぜひおいでください。」 音声が止むと、何事もなかったかのように、書斎の椅子に座り、そしてメイド人形は、だらりと脱力して、肘掛けにしなだれかかり動かなくなった。 外に出ると、間も無く夕暮れというところだった。夜の展示というのも気になるが、一度宿に戻るには時間が足りない。仕方なしに来た道を途中まで引き返し、スキー場に行ってみることにした。 夏のスキー場は、芝生の広場として開放されていて、ピクニックに来た家族連れなどがちらほらと見えた。レストランも開いていたので、少し早いが夕食をとることにした。