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ハイド細胞 第一章 「分裂」 第三話

ドクンッ!


「きゃんっ!!」茉菜は、大きすぎる衝撃に小さな悲鳴を上げる。ドクンドクンと心臓が激しく脈をうち、全身に熱がこもっていく。


「(こ、これってボクの身体が変化したときと一緒……!)」

「え、な、なに言って……ひゃぁっ!!」


腕が締め付けられるような感覚とともに、茉菜の長い腕が急激に短くなる。シャツを押し上げていた巨大な乳房も、空気が抜けるように小さくなっていく。


「私の体、茂音に戻ろうと……してるぅっ!?」


股間から何かが飛び出し、デニムパンツを突き上げる。が、腰が細くなり始め、全体的にパンツはぶかぶかになっていく。


「(気持ちわる……って、声が、出ない!)」


体が言うことを聞かなくなり、茉菜は茂音に戻っていき、自分が消えてしまうのではないかという恐怖感に襲われる。


「(やめて、やだっ!!)」

「う、うるさいなぁ、もう……っ」


髪は頭に戻っていくように短くなり、脚も短くなって、デニムパンツはダボダボになってしまった。


体の操作権を取り戻した茂音が胸にまとわりつくものを取ると、それは巨大なブラジャーだった。


「す、すごくおおきい……」


頭が入ってしまうようなサイズのカップに、少しドキドキする茂音。これを埋め尽くすようなおっぱいが、自分にくっついていたのかと思うと、夢でも見ていたかのような感覚におちいる。


「(ううっ、そんなサイズのブラ、そうそう見つからないんだから、なくさないでよね……)」


頭の中で消え入りそうな女性、茉菜の声がして、それが夢でないことを証明した。


「わ、分かったよ……あんまり出てきてほしくないけど」

「(はぁ!?あんたの頭の中にずっと閉じ込められたままなんて、イヤに決まってんでしょ!?絶対に入れ替わってやるんだから!!)」


さっきまですすり泣いていた声は、今度はあからさまに怒っている。しかし、その威勢とは裏腹に、茂音の体は完全に元に戻り、ダボダボになった茉菜の服と、茉菜が回収していたボロ切れ同然の元の服に埋もれるようになっていた。


「ど、どうしよう……ボクの服、ママになんて言えば……」

「(ふん、知らないわよ)」


しかたなく、服を引きずりながら家に上がり、できるだけ音を立てないように自分の部屋に抜き足差し足で向かった。


「ふう、どうにかなった……」


ダボダボの服を脱ぎ捨て――頭がすり抜けてしまいそうなパンティに息を吞みながら――タンスの引き出しを開けて他の服を探そうとするが、ブリーフは一番上の段にある。いつも、母親に取り出してもらっているのだが、彼自身には届かない高さにあった。


「(ねえ、手伝ってあげようか?ふふっ)」


「うるさいな!」からかうような茉菜の声が聞こえ、少しムキになる茂音だが、やはり届かないものは届かない。仕方なく、椅子を引っ張ってきて、その上に立つことにした茂音。


「よいしょ、と」椅子の上からは、当然、周りの世界がいつもより低く見える。茉菜の頭の中にいた時の高い視界を思い出した茂音は、こう思った。


――もっと、背が高ければいいのに。


ドクンッ!!


「うぐっ!!うわあっ!?」またもや茂音を襲った強い衝撃に動転した茂音は、椅子から脚を踏み外してしまった。「とぉっ!!」だが、ちゃんと脚で着地することはできた。問題は……


「モネ、帰ってきてたの!?何やってるのよ!?」


その大きな足音で、リビングにいた母親にその存在がばれてしまった。その間にも、茂音の身体は変化を始める。


「なんでも……ぐぎゅっ!!」


脚が急激に長くなり、茂音はバランスを崩し椅子にドンッと倒れこむ。


「だから、何やってるの!って……」


また大きい音を立てたせいか、母親は部屋の扉を開け、そして目を丸くした。息子が全裸でいるのはともかく、部屋の床に見たことがないブラが落ちているのだ。自分の数倍の大きさのバストが入りそうなそれに、茂音がしたのと同じく息を呑む。


「ま、ママ……う、うぐっ!!」


そして、母親の目の前で、茂音の上半身がグキグキと伸びる。息子の身体が悪夢のように変わるのを見て、母親は腰を抜かしてしまった。


「も、モネ……あなた、どうしたのよ!?」

「ま、茉菜が出てくるぅ……!!」


平らな胸が急激に膨らんでいき、人並みなサイズになっても成長をやめない。骨盤もビキッビキッと広がり、椅子の両脇から腰がはみ出していく。


「まな、って誰よ!?」

「う、うわあっ!!」


茂音が大声を上げて目をギュっと閉じると、髪がバサァッと伸び、顔立ちが整えられていく。そして、次にまぶたが開いたとき、その瞳は赤くなっていた。


「ま、茉菜はあたし、だけど、まだ、大きくなるぅっ!!」


ミチッ、ミチッと胸に二つついた肌色の塊が一回り、また一回りと大きくなり、まさに床に落ちているブラにぴったりな、スイカサイズのバストが出来上がる。


「もう、少し、ひゃんっ!!」


両脚がミチィッと膨らみ、ヒップがボンッと大きくなって、やっとそれは終わった。


「はぁ、はぁ……人が見てる前で出てこようなんて思ってなかったわよ、もう……」


母親は、荒い息を立てる息子、いや、息子だった自分よりもかなりムチムチな女性によろよろと近づいた。

「あなた、モネ、なの?」


再び表に出てきた茉菜は、大きなため息をつく。頭の中で大泣きしている茂音を気の毒に思いつつ、床に落ちているブラを拾った。


「茂音、と言ったら、半分本当で半分嘘になります……私にも分かりませんが」

「あなたがモネだって言うなら……ママのほくろ、どこにあるか知ってる?」

「え?右ひざの裏と左肩……?」


茉菜は、大きすぎる乳房の重さをブラに預けつつ、茂音の記憶の中から引き出してきた情報で、母親に答えた。母親は少し考えこんで、次の質問をした。


「少し前まで飼ってた犬の名前は?」


茉菜は焦った。そんな犬の記憶など、どこにもない。


「い、犬なんて、いない、ですよね……?」


それが正解だったらしく、警戒を解いた母親は、茉菜に抱き着いてきた。ブラを付け終わったばかりの胸肉がギューッと歪む。


「い、痛い、痛いです!え、えーっと……」ママと呼ぶわけにもいかず、茂音の記憶の中にある、彼女の本名を呼ぶ。「真音(まね)さん……」

「あら、ごめんなさい……実は私、ずっと娘が欲しくて……」


茉菜は、頭の中の茂音の泣き声が収まったのを感じた。


「茂音は華奢だから、女の子として育ててもいいかな、って思ってて……名前も男でも女でも通じるものにして……」

「真音さん?」

「(ママ?)」


茉菜は、茂音も真音の声が聞こえていることを伝えるべきか迷った。


「こんなボインボインなのはちょっと想像してなかったけど、モネがこのままの姿でもいいかな……」

「ストップ、ストップ、真音さん!!元々の茂音、私の中にいますから、真音さんの言うこと聞こえてますから!!」


頭の中で、哀れな少年のすすり泣く声がして、茉菜はため息をついた。


「あらあら、ごめんね、モネ」

「(うぅ……ボクは要らない子……)」


茉菜は、苦笑いしながら床の上に残っていた残りの服を着ていく。隣に落ちている茂音の服と比べると、茉菜の服は3倍以上の布を使っていた。そんな体が大きくなったり、小さくなったり、自分の体がおかしくならないか不安になる茉菜だった。



「へぇ、茉菜ちゃん、うまく描くもんだね」

「いえ、私自身も驚いているくらいです……」茉菜は、茂音の鉛筆を使って真音の似顔絵を描いたのだ。少しデフォルメがかったその絵に、真音は拍手した。

「すごい!私は、食事の支度してくるからね、綺麗に描いてくれた分、奮発しちゃうよ!」

「あ、ありがとうございます」


真音が部屋から出ていく同時に、茉菜は消しゴムを机にバン!と叩きつけた。デッサンに使うのは普通は粘土のように柔らかいねり消しだが、なぜかプラスチック消しゴムしかなく茉菜は四苦八苦していた。


「茂音、こんな道具でよく絵の練習なんて言えたわね!」

「(そんなこと言わないで……ボクの努力なんて、茉菜には分からないんだ)」

「努力、ねぇ?」


努力というより、記憶を探ると、茂音は、闇雲にそれっぽく描くのを繰り返すだけ、という、変哲な方向に知識が増えていくことをしてきたようだった。


「あんた、基本すらできてない。高井戸さんのところでちゃんと勉強しなさいよ。まずは努力の仕方から勉強することね」

「(な、なんだよ!茉菜は体はでかいけど、生まれたばっかの赤ちゃんだろ!ボクに指図しないでよ!ボクの体、返してよ!)」

「はぁっ!?あんたの為に言ってやってんのに、ふざけないでよ!」


「(茉菜なんて、消えちゃえ!)」

「消えんのはあんたよ!」


「黙りなさい!」と二人の喧嘩を止めたのは、知らぬ間に戻ってきていた真音だった。ついさっきの笑顔はどこへやら、カンカンに怒っている。


「ま、真音さ……へぶっ!!」真音の平手打ちは、体が変わり始めるときの衝撃より強かったかもしれない。


「人が消えるとかなんとか、冗談言うのも大概にしなさい!茂音は納得いかないだろうけど、茉菜ちゃんも好きでやってるわけじゃないの。仲良くできないんなら、この家から出ていきなさい!」


真音は息を荒げながら、どしどしと台所に戻っていった。


「(う、うわああんっ!!)」平手打ちの痛さは茂音にも伝わっていたのか、はたまた母親の怒声のせいなのか、茂音は大声で泣き始めた。

「な、泣くんじゃ……ないわよ……」茉菜はヒリヒリと痛む頬に手を当てながら、気持ちを落ち着けるためにベッドに横たわろうとする。


だが、ベッドの長さが足りず、ヘッドボードにガツンッ!!と頭をぶつけてしまった。

「いっったたた……ああもう、この体でかすぎんのよ……!」


ドクンッ!!


「うぎゅぅっ!?」泣きっ面に蜂とばかりに、茉菜の体が変化し始める。「ま、まさか、小さくなりたいなんて思うと元に!?」


ズボッ、ズボッと、左脚、右脚が短くなる。胸に作り上げられていた二つの丘も、急激に低くなる。


「なんでっ、毎回、こんなっ、ひゃぅっ!」


自分の体が、人形遊びのように作り変えられる感覚は、茉菜の思考を妨げるほどの刺激を生み出す。


「もう、絶対に小さくなりたいなんて思うもんかっ!」


最後の叫びとともに、茉菜と茂音は交代した。シュルル……と髪の長さも元に戻ると、茂音はスクッと身を起こした。


「ボクだって、茉菜を絶対出してやるもんか……!」


結局その日、二つの人格は、互いへの嫌悪感を拭い去ることはできなかった。

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