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あまり明るい話ではないのと、文章長めです。
一応最終的には前向きに転換しようと考えている話で終わります。
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今回人生で初めて4件もゲストをやり切ったので舞い上がっていたのですが、アフターの飲みの席で本の内容の朗読会を行い楽しんでいる様子が目に留まりました。
感想会ではなく書いてあるセリフを複数人で口に出し音読するというもので、その場に居なかった人のパートもすべて読み上げたと該当ツイートには記載があり、大変ショックでした。
昨今のSNSでは「お気持ちツイート」をすると、フォロワーが減ったり、それにより依頼が減ってしまった、ゲストに呼ばれなくなった、人間関係が壊れたなど、不利益が生じることが散見されます。
誰でも良いから理解をして欲しい時に、愚痴を零したところで、物事に対して感じる軽重や、価値観があまりにも異なり過ぎると、話さなければ良かったと思うことすらあります。
それらを避けつつ、自身のアイデンティティも庇護するとなると、ファンボのような一方向の手段に頼る他ありませんでした。
薄暗い内容をお金を払ってまで見たいと思う人もいないだろうと判断した為ですが、明るい内容を期待してご支援いただいている皆様には申し訳ないです。
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今回提出したゲストのページには「説明文」がギッシリ詰まっていて、セリフはほぼ無く効果音しかありません。その為、一体どこまでをどのように読み上げたのか、その場に居ない身としては非常に不安になりました。
基本的に効果音、セリフ、説明文などを口に出されると、それが真面目な内容であれ、エロの内容であれ、恥ずかしい気持ちになったり、つい笑ってしまうこともあると思うのです。
ゲストで提出しているデータは「セリフや文章も含めて」一枚の作品です。
その一部分を搔い摘んで複数人の場で悪ふざけをする行為に対し、一個人として、絵を描く人間として、ポジティブに受け取ることはできませんでした。
話の流れでセリフの一部を口に出して感想を言うことと、朗読会をすることは全く違いますし、友達同士で書いた内容をふざけ合って読むことと、多人数でその場にいない人の書いた内容を許可なくふざけ合うことも違います。
そのような行為をされた方や、その場に居て止めなかった方がどれくらいいるか把握できませんが、その方達がこれから先、もし私の絵に対し好意的な感想を口に出してくれたとして、残念ながら「具体的にどこが?」と感じるほど「絵が好き」という言葉自体を素直に受け取ることができなくなります。
(これについては前回、更新休止をしようと思った理由にも繋がります)
せめて私自身のページについては読まれなかったと信じたいですし、真面目に文章やセリフを解析・研究する場であり誰も笑っていなかったと思いたいです。
とは言え、「あなたのページは読んでいません」と仮に言われたとしても、そういう問題ではありません。自分が描いた作品が軽々しく扱われたのではという不安を抱かせる状況だったこと、そのことが分かるような内容を複数の方がツイートしており、誰が発端だったか匂わせることをネットに出していること。それをされると嫌だなと思っている人間が既に目にしていることに問題があるのです。
(当人同士で許可が下りている分には関係ないと思いますが...)
「同人誌の朗読会」が行われたことについて、違和感を覚える方もいらっしゃいました。もちろん、それを気にしない人もいるかも知れません。どういう会話の経緯でそんなことが起きたのか全く分からないのも怖いのです。
描いたキャラクターのページを見返す度に、悪ふざけで朗読をされたのではないか、茶化されたのではと感じ、自分が生み出したキャラを見ているとかわいそうな気持ちになります。
献本を最初に手を取った時の嬉しかった気持ちが、自分のページを見るだけでどんどん消え失せていて、かわいらしい姿の自分のキャラを見ていると泣きたい気持ちになります。
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なぜここまでふざけ半分に文章を読まれることに対し否定的で、悲しみさえ感じてしまうのか、「これくらいで?」と疑問に思う方もいるかも知れません。
理解に繋がるかは分かりませんが、作った原稿の中で文字が多かったものに対し、何を考えて作ったのか簡単に記載していきます。
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▲これは「表紙にいない」セレインのページの一部です。
ただなんとなく文章を考えたのではなく、「一頭身でなければ出来ないこと」を踏まえて生き方も含めてデザインするのはとても大変でした。
ファンシーでかわいらしい生き物とは言え、息づいている以上、彼らの体の中では心臓(もしくはそれに類するもの)が脈動し、血液が巡り、生命の息吹に満ちています。
そういった生き物だからこそ叶えられる表現・生態の見せ方を、尊敬している作家様に見せてアドバイスをいただいたり、「生」はグロテスクであるものという個人的な観点から脳で受精、出産を行う部分を変更せずに重複子宮という機構や、一部魚の生態で卵を泡で守る行動を行うので、それらを複合してイラストはかわいいまま、設定はグロいものにまとめ上げました。
▲これは「表紙にこっそりいる」エリオネのページの一部です。
最後の最後まで細かい文章、擬音、動線(動きを表す表現)に悩まされ、文字数が多すぎないようにしたり、難しい単語を使いすぎないように気を使ったり、本来表現したかったグロさを出せないか試行錯誤しました。
交尾を繰り返すことで本体のレベルが上がり、産卵が可能になるという設定に、私自身の身に起きた悲しい出来事の記憶や、実際の動物の要素の肉付けをしてこのような内容になっています。
このキャラクターのテーマは「愛」ですが、コミュニケーションを取る行為について絵のカットで説明したり、快楽を得ることが生きがいであっても、いずれ死を迎える儚い命であることや、嫌らしい部分を見せる為に最後のページで皮肉を書いています。
キスや、手を繋いだり等の愛のある幸せな時間があろうとも、最終的には快楽を求める生き物(最後は番がおらず、幼体が周りにいるだけ)であり、個としてではなく種として産卵という「役割」を全うした後は用済みなので死を迎える点など。
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▲その他のゲスト原稿の文章の一部
左図はよその子に対し道具を用いて判定をしてもらうという内容なので、なるべく前向きに捉えられるようにしつつ、軽い印象にしたかったので、実際のアダルトグッズサイトの文章を参考にしたりしました。
右図についてはあくまでも蟲の説明に留めていますが、世界観をぶち壊しにしないようにwikiなどの文体を取り入れながら崩しています。(可能が2回出てきてる...)
カブトムシの幼虫の形態が地虫というのも調べて名前に採用しています。
▲Skebや過去作の文章の一部です。
上図では宇宙飛行士がフィクションのスーツを身に付けているコンセプトだったので「労わる」為に触手が快楽を与えていることを説明しています。
下図では「原生の生き物を再現」しており、実際は非常に危険な生き物であることを小さく説明しています。(現生は誤字だなあ)
要するに機械生物としてこの生き物を模倣し、改造し、動物園のアトラクションに仕立て上げていることを示唆していますが、自然と読んでいて、気付ける人だけ気付いて欲しい塩梅にしています。
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元々の私自身の知識不足や、調べる時間なども足りていないので内容としては拙いかも知れません。長年界隈にいる方にとっては、どこかで見たことがある内容だろうか、つまらないと思わせているのではないだろうか、ということも非常に不安になります。
色々な気持ちになりながら、必死になって、毎回一枚の絵として完成させる為に、全て同じ内容に見えてしまわないよう時間を割いて作っているものを、軽々しく触られたくありません。
同様に、こうしてネタの解説を開示する(怒る理由の説明の為)ことは野暮であり、読み手が何らかの手段で、望んでいないのに作り手の心の中に侵入してくることでもあると感じます。
目にしてくれた一人一人の心の何かに触れて欲しいのであってこのようなことは全く意図していませんでした。
ただ、この件について悶々としていると、私自身の「健康的な時間」が阻害され続けるのと、理由があるにもかかわらず怒られた側が罪悪感を増幅させたり、理由を知らないその周囲の人まで「この人は怖い人だ」「心が狭い」などのネガティブな感情を持つケースがある為、少し時間を置いて考えることにしました。
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当初は「読み上げないで下さい」とハッキリ書こうかと思いましたが、最終的に落ち着いたのは「音読行為を逆手に取る」ことと「そもそも口に出すことを想定する」ことでした。
一般的に同人誌を作っている方が本来行う必要のない労力を割くことになりますが、人の口に出されることにより、第四の壁(フィクションの世界と現実世界との境界を表す概念)を超えるインタラクティブなものを少しでも体感できることに繋がるのではないかと思い至りました。
この発想に近しいのは怪談話のいわゆる自己責任系かなと。物語のただの読み手であり他人事だったはずなのに、いつの間にか自分が当事者となるタイプのものです。技法で言うとミスリードもそうですね。
または、口に出し辛い・出すことができないように、こちらで作為的に作ることもアイディアとして湧く結果になったので、起きた事象自体はショックですが、個人を攻撃することなく、多方面に火の粉を飛び散らせることなく、何より私自身が感情を露わにしたことによる意趣返しを恐れたり、気遣いにより罪悪感に苛まれることもなく、尊厳やアイデンティティを守れる最善の策だと考えます。
具体的にそのネタについて、今回のように細かく詳細を語るような野暮なことはなるべくしたくないですし、ギミックを一緒に考えてくれる人と楽しみつつ、実際に思惑通りになれば一番いいなと思います。
今回もそうですが、敬愛する作家様とアイディアを出している時間や、参加した本のコンセプトはとても好きだったので、作っている間は楽しかったです。
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正直、読み上げること自体は悪ではないと思いますが、ふざけ合っている事実を作者が見た時にどう感じるのか、絵の向こう側に人間がいることを理解している行為なのか、私にはわかりかねます。
「絵が好き」だろうが、その場の「ノリ」だろうが、今回に限らずその絵の向こう側にいる人間のことをどうして無視できるのか。
私という矮小な存在が、他人の小さな行動を許せないほど心が狭く、場の空気が読めないノリの悪い人間であり、多様性や社会について世間知らずで、怒りを蓄える恐ろしい人間であると誰に思われたとしても、私自身が悲しいものは悲しいのです。
非常に長い文章となりましたが、ここまで読んで下さりありがとうございました。