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シニンノカゲ:7章part6

6. 雪の中で 雪がかなり積もってきた。風もきつい。 旧校舎の調査のため、校内に人はいない。 また、大雪警報が発令されたこともあり、旧校舎の調査に寒川もいない。 今日しかない。 寒川に頼るのも手かも知れないけれど、自分が蒔いた種は自分で始末するのが筋だ。 鉢上乃恵は固く閉ざされた校門を開けた。鉄の校門に触れたせいで指が冷えたので、ダウンのポケットに手を入れた。 指に、般若の包丁が触れる。 やるんだ。 今日こそ。 乃恵は、ゆっくりと旧校舎の奥へと向かう。 "彼女"とは、旧校舎奥にあるという使われていない焼却炉の前で待ち合わせている。 そこに──首無しも来る。 "彼女"と二人で、決着をつける。 藤島小百合のいなくなった旧校舎を見ても、もう何の気持ちも湧いてこない。 恐怖も、何も。 ここは今や単なる事件現場であり、廃墟である。 玄関ドアには規制線が張られている。 ここにはもう用はない。 乃恵は、旧校舎奥へと進む。 吹雪が強くなる。冷たい風が乃恵の黒く長い髪を乱し、雪が剥き出しの脚を冷やす。 凄まじい速さで雪が積もっていく。 さっきまで歩くのに苦労はしなかったのに、気づけばくるぶしのあたりまで雪が積もっていて歩きにくい。 旧校舎をぐるりと回り込み、校舎裏の裏山方面へ進んでいく。 ここからさらに鬱蒼と草木が生い茂っており、気をつけないと、遭難する可能性さえある。 遭難なんてしたら元も子もない。何のためにここに来たのか分からなくなる。 全部、明るい未来のためだ。 あの人と同じ世界に居続けるため。 旧校舎を背にして歩き始めてからしばらく経った。 雪のせいか、焼却炉とやらがなかなか見つからない。 "彼女"の話によるとこの辺りだったのだが──。 下手に奥に進むのはやめておくことにした。 ここで待っていれば"彼女"も来るだろうから。 どうしようか。 "彼女"と一緒に首無しも来るだろうから…そうしたらどうやってトドメをさそうか。 刺すのはどこでも良いのだろうか。切り付けるだけでも良いのだろうか。 幸いというかなんというか、乃恵は刃物で何かを刺すという経験を藤島小百合との戦いで積むことが出来ている。 退魔を可能にするこの包丁が手に入ったのも、あの戦いがあったからこそだ。 吹雪がひょおひょおと奇妙な鳴き声のように聞こえ始める。 乃恵は自分だけがぽつんとここにいるのが恐ろしくなってきた。 "彼女"が来る気配はない。 一体、いつになったら"彼女"はやってくるのか。 もしかして、迷っているのか。 やはり焼却炉を目指すべきなのか。 乃恵が白い嵐の中を恐る恐る歩き続けると、雪染められた草木の中にぽつんと人工的な四角い形状の物体が見えた。 あそこだ。 乃恵は早足で錆びついた焼却炉に向かう。 そこへ、雪を踏み締め、何かが駆けてくる音がした。 それは獣のようで、しかし不規則で不安定な足音──。 その足音が乃恵に迫り、乃恵が振り向いたその時。 頭に強い衝撃が走り、視界が大きく揺れた。 平衡感覚を失い、乃恵はぐらりと揺れ、焼却炉に倒れ込んだ。 生温かい液体が冷えた頭部からたらたらと垂れてくる。 ドクドクと心臓が早く強く胸を打っているけれど、状況がまるで理解出来ない。 乃恵は頭部から垂れてくる生温かい液体を指で拭った。 それはぬるぬるとしていて、とても、赤黒かった。 血。 それが自分の頭部からどろどろと溢れ出しているのだと思うと途端に、ぼんやりとした視界がはっきりとした。 見覚えのある影が視界にくっきりと浮かび上がる。 髪は短く、背丈は小さい。ベージュ色のコートを羽織っている。 「愛維っ…!?」 倒れている乃恵をぼおっと見つめているその女は、松山愛維だった。 「こんなところで…なにやってんの」 乃恵は冷たい焼却炉に手を突き、立ち上がる。頭がくらくらと揺れる。 愛維は何も答えない。 ただ、瞬きもせずに開いたままの目で乃恵を見つめている。 その手には、レンガが握られていた。 乃恵は理解した。 近づいてきた足音は愛維のものであり、自分は今、その愛維に殴られたのだと。 途端に、恐ろしくなった。 「なにやって…」 乃恵の問いかけには何も答えないまま、愛維は息を荒らげ、ずかずかと雪を踏みながら乃恵に近づいてくる。 「愛維っ!愛維っ!」 乃恵の言葉など届いていないのか、愛維は荒い息遣いのまま、レンガを振り上げる。 乃恵は長い脚を突き出し、愛維の腰を蹴っ飛ばした。 小柄な愛維の身体は簡単に後方に飛んだ。レンガも手から抜けた。 凶器を失った愛維はパニックに陥ったようにバタバタと手足を動かし、レンガを掴もうと手を伸ばす。 乃恵は、愛維の両肩を掴んで後ろに突き飛ばした。 「なにしてんの!?意味わかんないよ!」 乃恵は愛維を押し倒し、怒声を上げた。 ひょうひょうと雪が吹雪いている。 愛維は目を閉じ、息を吐いた。 「意味わかんない?嘘つけよ…」 仰向けのまま、雪に埋もれる愛維はようやく言葉を吐いて、笑った。 「お前…話すんでしょ?私のこと…私の秘密…」 愛維は唇を震わせてそう言った。寒さで震えているのでは無いことは明白だった。 秘密。 それは、乃恵だけが偶然に目撃した愛維の秘密。 愛維が、見知らぬ中年の男と仲睦まじく寄り添い歩く姿を乃恵は夜の街で目撃してしまった。 乃恵は、愛維の父を見たことがあるからその中年が愛維の父でないことはすぐに分かった。 最初は、見間違いかと思った。愛維だとしても、例えば親戚の叔父さんだとかそういう関係なのではないかと。 でも、そうじゃなかった。 愛維はその中年の男の腕に抱きつきながら首なんかに接吻まで施していたのだから。 「誰にも話してない…!」 それは本当だ。そんなことを話してもなんの得にもならない。 むしろ、乃恵はあの日の記憶を消してしまいたかった。 友人のあんな姿など。 「これから話す。そうでしょ?ねぇ。そうなんだって。くだんが言ってたよ」 愛維は笑っている。きっと、何か可笑しいからではない。 「はぁ…!?くだんなんて…」 そんなのはいない。 「いたんだよ。知らないでしょ?」 愛維がそう言ったかと思うと、ごんっと乃恵の側頭部に鈍い痛みが走った。 「大丈夫だよ。首無しはさ…ちゃんと始末してもらうから。怖いもんね…」 耳鳴りに混じって、愛維の声が聞こえる。 側頭部にネジでも打ち込まれたようなズキズキとした痛みが走る。 愛維の手には、血のこびりついた石が握られていた。 「どうかしてる」 乃恵は側頭部から溢れ出す滑りのある血を抑えながら、小さくそう吐き出した。 「なにが?そっちも友達殺しに来たんでしょ?」 愛維は、乃恵がよろめいている隙に起き上がっていた。 「違う…あの子はもう…」 「どうでも良い。あんたがいる限り…私の未来に平和はない」 「だからって殺すの?狂ってるんじゃない!?そもそも…あんたの"パパ活"なんて勘の良い人間ならもう察してる!」 学生の身分であれだけハイブランドの品を身につけていれば疑われるのは当然だ。 乃恵が愛維と男の現場を目撃した日から、愛維はそれらを身につけなくなった。 分かりやすすぎる。 「うるさい!うるさいうるさい!」 愛維は細くを突くような金切り声を上げ、石を振り上げた。 「自業自得でしょ…!?自分で勝手にやったんじゃんか!そもそもそんなことする必要がどこにあったわけ!?」 乃恵は石を握る愛維の手首を掴んだ。 「離してっ!お前にっ何が分かんのっ」 愛維は眉間にびきっと筋を浮かせ、怒鳴り、暴れる。 雪に足を取られて、乃恵は転びそうになる。 「お前には分からないよねぇ!?いつもいつも男子からも女子からも人気のお前にはさぁ!」 「はぁ…?」 「お前…うざかったんだよ。モテるくせに誰とも付き合わないし。良い女でも気取ってんのかなって思ってたけど…違うよね…お前はさぁ…」 ──好きなんでしょ?羅那のこと。 愛維は嘲笑するようにそう言った。 「はぁ!?」 喉から乾いた笑い声が漏れた。 口角は確かにあがっている。けれど、違う。可笑しくなんてない。 違う。違う。 「男に興味ないんでしょ。あんたがさぁ…羅那を見る目…見てたら分かる。そりゃあレズならさぁどんな男子から告られても誰とも付き合わないよねぇ!」 愛維がケラケラと笑った瞬間──気づけば、乃恵は愛維を突き飛ばしていた。 愛維が弱々しく雪の上を転がった。転んだ拍子に腕を捻ったのか、右腕を押さえて苦しげにしている。 愛維は自分を殺そうとしている。 この天気と怪我で逃げ切るのは現実的では無い。 それに、乃恵自身でさえ受け入れ切れていない自分の本性を決めつけ、嘲笑った。 このまま殺してやろうか。 そんなふうに思って、ダウンのポケットに忍ばせた包丁を握った。 人を殺したらどうなる? 今日なら、首無しのせいにできる? いや。駄目だ。 捜査されたら、犯人はすぐに特定される。 その後の人生が、めちゃくちゃになる。 二度と、あの人──羅那を見ることも出来なくなる。 羅那の顔がよぎった時、乃恵の手から包丁が落ちた。 うずくまっていた愛維のぎょろりと剥かれた目が、落ちゆく包丁を見つめていた。 不味い。 乃恵が慌てて包丁を拾い上げようとしたが早いか── 愛維は獣のように包丁に這い寄り、抱え込むようにして包丁を掴んだ。 愛維の腕が勢い良くひゅんと空を切る。 刃が、乃恵の黒いダウンを深く切り裂いた。 つい一昨日、刃物で何かを突き刺すことに怯えていた人物とは思えない動きだった。 「このっ──馬鹿っ」 乃恵はよろけながらも愛維の背後に回り込み、膝で思い切りその背中を蹴り飛ばした。 小柄な愛維の身体から咳のような、空気が漏れる音がした。 前方に飛んだ愛維のその頭部が激しく焼却炉の角にぶつかった。 がんっという音が響き、愛維の身体はずるずると崩れ落ちる。 嫌な音が響いたのと同時に愛維は静かになった。 「愛維…?」 動かない愛維を見て、途端に乃恵の体温は下がっていく。 血の気が、引いていく。 乃恵は恐る恐る愛維に近づく。 包丁は愛維の手から抜け落ちている。 焼却炉の足元を埋めている真っ白い雪に血が染み広がっている。 「愛維…!?」 乃恵は慌てて、つい数秒前までは恐ろしくて仕方がなかった友人の肩を掴み、顔を上げさせた。 愛維の目は何も見つめてはいなかった。 乃恵に蹴られ、驚いた顔のまま固まって──死んでいた。 寒気がした。 殺した。 人を。 違う。これは。 これは違う。 乃恵は腰から力が抜け、雪の上に座り込んだ。 「また、殺したんだ」 ひょおひょおという吹雪を突き抜けるように、その声はそう言った。 それが、幻か現実か分からなかった。 とうとう気がおかしくなってこんな光景を見ているのだろうとも思った。 今ここに、笹木澪がいるはずがないのだから。 どうして、ここにいるはずのない人ばかりが現れるのか。 「また…殺した」 澪はじっと乃恵を見つめてもう一度そう言った。癖っ毛が吹雪に揺られている。 「澪…なんで…。違う…違うんだよ…。これは愛維が…」 上手く説明出来ない。 言葉が出てこなくて、白い息がホワホワと立つだけだ。 そもそも、現実なのかも分からない澪に何を言えば良いのか、分からない。 「何が違うの。ねぇ…あんたが"歌巴"を殺したのと何が違うのか…説明してみせてよ…」 違う。 もし、あの時。 最初に旧校舎に忍び込んで怪異から逃げていた時── あの昇降口で刃のような風が飛んできた時。 あの時、あのまま何もしなかったら死んでいたのは羅那だったのだ。 それだけは駄目。 駄目だから。 だから乃恵は咄嗟に、滝歌巴の背を押したのだ。 歌巴は何も分かっていなかった。何かを理解するよりも前に、その首は飛んだのだから。 「全部。知ってるよ」 どうして。 どうして澪が知っているのか。 分からない。 知っているならなんで今更──。 「これで歌巴を殺そうっていうの」 澪の手には、般若の包丁が握られていた。 ──しまった。 起きあがろうとすると、ズキンと頭が痛んで吐き気がした。 「二度も殺すの?ねぇ。自分はどうなの。自分だけはのうのうと生きようっていうの?」 澪は包丁を握ったまま、じりじりと乃恵に近づいてくる。 「この…人殺し」 澪は包丁を両手で握り、乃恵に飛び掛かった。 乃恵は咄嗟に澪の手首を掴んだ。 澪の全体重がのし掛かり、乃恵は仰向けに倒れ、その上に澪が覆い被さる。 澪の握る千年呪物の刃先が、乃恵の喉に迫る。 乃恵は脚を折り曲げ、足裏を澪の腹部に突きつけ、勢い良く脚を伸ばして蹴り飛ばす。 澪はふわりと飛んで木に頭をぶつけた。 「はぁはぁっ!なんとでも言えば良い…」 乃恵はようやく起き上がった。 髪はもう雪でぐっちょりと濡れている。 「羅那を助けたから自分は正しいことをしたと思ってる?羅那がいなかったら私たちは藤島小百合に殺されてたかもって?そうかもね。でもどうでも良い!私は歌巴が生きてさえいれば…それで良かった!」 澪は歯を剥き出しにして吠えた。 その顔は、乃恵の知らない澪の顔だ。 「羅那が代わりに死んでいれば良かったっていうの…」 「そうかもね」 澪は再び、包丁を握り締めて向かってくる。 乃恵は愛維の使っていたレンガを拾い上げた。 止まることなく向かってくる澪。 その姿が、乃恵の視界から消えた。 直後、太ももに激痛が走った。 澪が、姿勢を落として包丁で太ももを引き裂いたのだ。 夥しい量の血が太ももの裂け目から飛び出した。 その様子を見た途端、乃恵の体中の血の気が引いていき、乃恵は崩れ落ちた。 もう限界だ。 寒い。 寒い。 「人を殺した報いは受けるべきでしょ…私も受けるよ。そのつもりだもん」 血みどろの包丁を握った澪は何故か満足げに笑った。 彼女のその横っ腹が。 横っ腹が──切り取られたように無くなった。 何かに食いちぎられたかのように抉れた横っ腹からは、ぼとぼとと臓器が零れ落ちる。 澪の背後に、どす黒い何かが立っている。 スウェット姿に土気色の肌。手には草刈りをするような鎌が握られている。 そいつには、首から上が──無い。 乃恵の全身の筋肉が一気に弛んだ。 「歌巴ぁ…どうして来たの…」 横っ腹を大きく刈り取られた澪は呆れたように笑って振り向いた。 「駄目じゃない…待ってないと…」 切り取られた横っ腹からは絶え間なく血が流れ落ち、澪の足元の雪がみるみるうちに真紅に染まっていく。 「ねぇ…一緒にいよう。ずっと。私が守るから。 守るためならなんでもするから…さ」 澪が、首無し──歌巴に向かって両手を広げる。 首の無い歌巴はそれに対し、鎌をびゅんと振り下ろした。 鎌は澪の頭をばっくりと裂いた。 割れた頭から、脳みそやら脳漿やらが飛び散った。 死骸となった澪は雪の上に倒れた。 吹雪は容赦なく、つい数秒前まで生きていた澪の身体に雪を重ねていく。 鎌を握った首無しの歌巴がゆっくりと乃恵に近づいてくる。 「はぁはぁっ…私が憎いよね。そうだよね。許してくれなんて言わない…」 不思議なことに首の無い歌巴を見ていると、気分が落ち着いた。 首を刎ねられて死んでいるはずの歌巴が、あの日からずっと生きているみたいに振る舞っていた方が気持ち悪くて仕方がなかったのだ。 「結局、こうなるんだったら…私が犠牲になるべきだった…」 今の歌巴に言葉は届かない。 もう立ち上がることは出来ない。 包丁にも手が届かない。 恐怖を押し殺そうと息を止めると、勝手に喉が震えて、鼻も震えた。 羅那の顔が、祐司の顔が、母の顔が浮かぶ。 死んだらどうなるのかな。 あの世はあるのかな。 怪異になるのかな。 そしたら、羅那は助けてくれるかな。 歌巴が鎌を振り上げる。 「くそっ」 乃恵は最期に、舌打ちをした。 ◯ どうして。 どうして皆が死んでいるのか羅那には分からなかった。 羅那がここに到着した時既に、吹雪の裏山の一角は血に染まっていた。 一昨日、助けたはずの松山愛維は目を開けたまま焼却炉の前で頭から血を流して動かない。 その近くには首から上の無い黒いダウンを着た女の身体がゴミのように放り捨ててあった。首から腹部にかけてをべっとりと黒い血が流れている。 太ももには深い裂傷があった。 そして。 雪に埋もれるように、頭をかち割られた澪らしき死体がある。 ──虎谷さん。貴女以前、贖う者が現れるという予言があったと言ったわね。それはもしかしたら藤島小百合のことではなかったのかもしれない。良く無いことが起きようとしてる。まだ憶測だけど、急いで確認したいことがあるの。 寒川は電話でそう言っていた。 贖う者に成ろうとしている者が、羅那たちの中にいると。 自分の読み通りならば、今日こそがその絶好のチャンスである可能性があると。 だから急いで旧校舎裏の祭壇のある小屋へ迎えと。 それは理解した。 理解したのに──この状況はまるで理解できない。 ここで一体何があったのか。 どうして皆がここにいたのか。 どうして死んでいるのか。 誰にやられたのか。 羅那は、裏山の奥に人影を見た。 誰かがゆらりゆらりと揺れながら歩いている。 雪に足を取られながら、急いで追いかける。 警察に通報しなきゃとか。寒川に連絡をしないといけないとか。頭では分かっているのに、それをやる余裕がない。 羅那はひたすらに木々の奥の人影を追う。吹雪で姿が良く見えない。 羅那の足音は聞こえているはずなのに、その影は振り向くことをしなかった。 「歌巴ちゃん?」 人影は、滝歌巴であった。 吹雪の中、歌巴はぼおっとした目で羅那を見つめていた。 「ねぇ羅那…私…私、違うよね。私、死んで無いよね」 歌巴は泣きそうな声で妙なことを言った。 瞼がぴくぴくと痙攣している。 「歌巴…ちゃん…」 羅那は一歩、下がった。 歌巴の手に、人の髪が握られているのを見て。 歌巴の握り締めている長く黒い髪。そのさらに下に視線を移動させると──そこには、苦しげに歪んだまま固まっている顔があった。 乃恵の顔だ。 羅那の胸がズキッと痛んだ。 「私、死んでるって言われた。あの時、死んでるの。私なんだって。分からないよ。私。ねぇ。違うよね」 歌巴は呼吸を乱しながら言った。目から涙がぼろぼろと落ちている。 「死んでない。死んで無いよね私。私…私は…」 歌巴がわっと泣き出す。 艶やかな黒い髪が抜け落ち、目や頬は落ち窪み、皮膚が剥がれ落ちて眼球が蒸発する。 頭蓋骨のみになった頭部は吹雪に吹かれて消えた。 首無しとなった歌巴が鎌を振り上げる。 羅那は動けなかった。 ここで死ぬんだとかそんなことさえ考えられなかった。 何かが歌巴を切り裂いた。 首の無い歌巴の身体がゆらりと揺れて、銀色の炎に包まれて消えた。 「ごめんなさい。本当に」 それは寒川の声だった。 「寒川…さん…」 寒川真冬が、銀色の剣を雪に突き刺し、銀の炎に向かって手を合わせた。 「どうして…一体何が…」 分からない。 「詳細は分からない。だけど…きっとこの惨劇は仕組まれたもの。それを仕組んだ張本人は──奥にいるはず」 寒川は木々の奥──祭壇のある小屋を見据えた。 小屋まで足跡が続いている。 足跡を辿るようにして羅那と寒川は小屋の前までゆく。 半壊した小屋にはぽつんと一人の影が立っていた。 ミディアムショートの黒い髪が吹雪に揺られている。 「これで全部おしまいだよ」 西原叶夢はそう言って、切なげにその山猫のような目を細めた。 ◯ 最悪の予感。その答えが、真冬の目の前に現実として現れた。 何もかもが最悪だった。 真冬の最悪の予想── "いま目の前にいる西原叶夢"は、西原叶夢ではない。 西方学院のあった古井戸村での大規模な火災をきっかけに"とある人物"が西原叶夢になっている。 火災によって生死不明になったことを利用して──。 恐らく、本物の西原叶夢はもういないのだ。 代わりに──金繭小事件の加害女児"新城彩華"が彼女になっている。 叶夢なんていう名前は、珍しい。まして年齢と苗字まで西倉山高校の西原叶夢と一致しているとなると、西倉山高校の西原叶夢が西方学院に通っていた西原叶夢と同姓同名の別人とは考えられなかった。 西方学院のあった古井戸村では過去に、五十人を殺して贖う者になった者がいることから、真冬の中で、"贖う者"というキーワードが同じく人の命を奪った新城彩華と繋がった。 古井戸村にいた彩華が、五十人殺しの事件や贖う者のことを知っていてもおかしくない。 もし、同級生を殺したその罪の重さを彩華が受け止め切れずにいたら──彼女は贖う者に興味を持つのではないか。 当時の西方学院で殺人の罪を犯していたのは彩華一人だ。他に贖う者に興味を持ちそうな人物はいない。 羅那の夢に現れた"贖う者"は、羅那たちの近くに贖う者に成ろうとしている者がいることを予言していた。 それは当初、藤島小百合のことであると思われたが──違った。 彼女はそもそも儀式に失敗しているし、死してからは贖う者に成る"権利"を失っている。 だったら、羅那のそばにいる誰が贖う者に成ろうとしているのか。そう考えた時──新城彩華の名前と共に西方学院の失踪者リストにあった叶夢の名前が真っ先に浮かんだ。 かつて古井戸村で彩華と共に過ごしていた同姓同名の人物が羅那のすぐ近くにいる。 これは偶然か。 真冬の見た資料の情報は最新ではないが、本物の西原叶夢は行方不明のままであるようだった。遺族もいない。 ただ、死亡届も出されていなかった。 生きているのか死んでいるのか分からない宙ぶらりんの存在と同姓同名の人物が羅那の近くにいる。 これが、偶然である気はしなかった。 極め付けは、写真だった。 西方学院在籍時の彩華と叶夢の顔写真を見た時、真冬は戦慄したのだ。 叶夢の顔は初めて見る顔だった。少し大人びた風貌をした少女だ。 だが。 新城彩華の顔は── ──真冬の知る西原叶夢の顔をしていた。 髪は今よりも長いが、その顔つきは確かに西倉山高校の西原叶夢のものだった。 何故、気づかなかったのか。 真冬は何度も、叶夢と顔を合わせている。彩華の顔を知っているはずなのに何故──。 真冬が最後に彩華を見たのは五年前。 確かに彼女は幼かったが、いくら彼女が成長しても、あの顔を忘れることはないとそう思っていた。 違う。 目だ。 真冬が覚えていたのは、目なのだ。 あの目。友人を殺めた直後のあの目。あの心の読めない目。 真冬の記憶の中の彩華の目と、真冬の前からいなくなったあとの彩華の目は違った。 ほとんど死んだ扱いを受けている彩華と同じ顔の人物が、同じく生死不明の西原叶夢を名乗って羅那のそばにいる。 贖う者の出現を予言された羅那のそばに──。 彩華が、贖う者に成ろうとしている人物なのではないか。 過去に古井戸村を焼いた原因不明の火災ももしかしたら贖う者と関係があるかも知れない。 まだなんの証拠もないが、もし、火災が贖う者に成るための儀式と関連したものであるならば── それに彩華が絡んでいると考えるのは、考え過ぎであろうか。 結果的に古井戸村では彩華は贖う者になってはいない。 だが、西原叶夢になれた。 さらには、元の校舎が無くなったことで、贖う者に成るのにうってつけのこの場所に彩華は誘われた。 運命のように。 運命に導かれるようにして彩華は過去に犯した友人殺しの大罪をまだ贖おうとしているのではないか。 そのために──贖う者と成る儀式を行うのではないか。 最悪のケースでは、儀式を成功させる確率を上げるため、何かをさらに贄に捧げるのではないか。真冬はそんな可能性も考えていた。 過去の古井戸村の火災が、彩華と贖う者の儀式に関連するものなら──彩華は一度、儀式に失敗していることになる。 それならば、儀式成功の確率が上がるように彩華がさらなる罪を重ねる可能性も高いとそう真冬は考えたのだ。 これは考えうる最悪の予想だった。 火災と彩華と儀式の関連性は真冬の単なる予想に過ぎなかったから。 当たって欲しくはない最悪の予想。 西方学院に在籍していた頃の彩華と叶夢の写真を見つけてすぐ、そんな最悪の予感が一気に真冬の頭を駆け抜けたのだ。 「お久しぶりです。寒川さん。昔は、お世話になりました。あ、今回もか」 西原叶夢──否、新城彩華はそう言って照れくさそうに笑った。


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